陳宮の生涯と呂布に仕官した理由を考察!曹操との最後の会話では何を話したのか?

陳宮ってどんな人?常に自分を高める努力を怠らないとっても意識が高い人

陳宮、字は公台(こうだい)。
勇敢で信念を曲げない人柄であったと言われており、
若い頃から天下の英雄や高名な学者と交友を結んで、自分を高める努力をしていました。とっても意識の高い人物です。

呂布の軍師というイメージが強いかもしれませんが、最初は曹操に仕官していました。
しかも曹操がまだ地盤を作る前に二人で行動していた程の古株なのです。
なのに、後にはみんなに仕官したいと思われる程大人気の曹操の下を離れて、
呂布の配下になったのにはどのような理由があったのでしょうか。

曹操との出会いから仕官に至るまで

陳宮は地元では大変才能の溢れる若者として有名で、自分に相応しい主君を探していました。
中牟県で刑務官をしていたのですが、その時に牢へ護送されてきたのが曹操です。

曹操は王允に頼まれ、董卓を暗殺しようとしましたが失敗し、
董卓の怒りは凄まじく、さすがの曹操も逃げ切れずに捕まってしまったところです。

ここで二人は意気投合し、一緒に逃げることになります。
曹操の天下を正したいという大きな大志に感銘し、
この人物こそが自分が人生をかけて仕えるべき主君だと、志を共にする事を近い、
刑務官の立場を捨て、犯罪者を助けるのですから、余程確信し、感銘したのでしょう。

悲しい別れ


ただし、二人の関係は長くは続きません。残念ながらすぐに終わってしまうのです。
二人で牢獄から抜け、曹操の生まれ故郷豫洲からほど近い陳留という場所で旗揚げを誓おうと、
その前に曹操の父の知人、呂伯奢の家に寄りました。

曹操への追っ手の手は緩まることなく、追われ続けていましたが、
呂伯奢は曹操の信頼が厚く、決して自分を売ったりはしないと信じていました。
実際に呂伯奢はとても優しく、二人を歓迎して匿ってくれました。

そんなある日、呂伯奢は曹操をもてなそうとお酒を買いに出かけます。
曹操と陳宮は待っていましたが、その時、庭から刀を研ぐ音と「縛って殺せ」というような言葉を聞き、
自分達を売るつもりだと思い、家人達を皆殺しにしてしまいました。

しかし、その後、料理されようとしていた豚を見つけ、
これは自分達を殺そうとしていたのではなく、豚を料理しようとしていたことに気付きます。
取り返しのつかない過ちを犯してしまったことを後悔しても時すでに遅し、

呂伯奢に合わせる顔もなく、今の内に逃げてしまおうと屋敷を飛び出しますが、
ちょうど帰ってきた呂伯奢と鉢合わせしてしまいました。
陳宮は真実を話して、呂伯奢に謝ろうと曹操に告げますが、
なんと曹操はお世話になった呂伯奢を剣で切り殺してしまいます。

陳宮はドン引きしてしまい、何故殺したんですか、彼まで殺す必要はなかったと厳しく問いただすと、
「我 人に背けども、我、人に背かせじ」と言われます。
自分が人を裏切るのはいいが、人が自分を裏切ることは許さないという意味ですね。
これを聞いて陳宮は言葉を失い、呆然としてしまいます。

そしてその夜、何事もなかったかのように平然と呂伯奢の家で寝る曹操。
この姿を見て、自分はもしかしてとんでもない人物を逃がしてしまい、生かしてしまったのではないか、
自分の人を見る目に落胆し、このままこの人物を生かしていれば、この先とんでもないことになる、と曹操を殺そうとします。
ですが、ここで殺しては自分も曹操と同じ、と結局殺さずに決別を誓い、その場を立ち去ります。

呂布への仕官


その後、時は流れ、陳宮は東郡で従事を務め、陶謙とも交流を持っていましたが、
曹操は父親の敵、陶謙討伐のために徐州に攻め込みます。

その時に陳宮は張邈や張超などを反乱に加担させた後、呂布を兗州へ招き入れ、呂布を奉じて曹操に反旗を翻します。
何故この時に呂布を選んだのでしょうか?他にも袁紹や公孫瓚など候補はいたはずです。

それは推測になってしまいますが、呂布は最強の武将として知られ、
あの関羽、張飛を二人同時に相手できる程で、一人で数千の軍に突っ込んで蹴散らす、まさに軍神です。

男ならその純粋な強さに惚れこんでしまうのも無理はありません。
それにまだ十分に配下に恵まれておらず、自分が重要なポジションに立て、意見を聞いてくれ、
補佐のしがいがあると思ったのかもしれません。

曹操との最後の会話

結局呂布は曹操に敗れてしまい、陳宮も捕らえられ、曹操の面前へ引き出されます。
「何故このような事になったのか」と問われると、

呂布を指し「この男が私の言う事を聞かなかったからこうなったのだ、私の策を取り上げていればこんなことにはなっていなかっただろう」と答えます。
実際に呂布は陳宮の策を妻に泣いて止められたために取りやめています。

さらに曹操は「母親と娘はどうするつもりだ」と尋ねます。
それに対し「天下を治める者は人の親を殺したり、祭祀を途絶えさせたりしないもの。母や娘の生死は貴公の手中にあり、私にはない」と答えます。

曹操は涙ながらに刑場に向かう陳宮をただただ見送るだけでした、陳宮も振り向くことはなかったそうです。
この後、陳宮は絞殺され、許の市において晒し首にされました。
曹操は彼の母と娘ら家族を引き取り、厚遇して娘も嫁ぐまで面倒を見ました。

曹操はきっと何とか陳宮を助け、再び自分の下で一緒に志を共にしたかったのではないでしょうか。
それでも陳宮は呂伯奢を殺し、自分勝手な台詞を吐かれた時点でもう曹操への気持ちは完全に消えていたのでしょう。
一度離れた気持ちはもう戻ることはなかったのかもしれません。

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1 Comment

通りすがり

正史で陳宮が曹操を裏切った理由は不明です。
なお陳宮は袁術と内通して呂布を裏切ったこともあります。

そもそも呂布は、エン州でも徐州でも曹操に負けてるし、それどころか臧覇や李カクにも負けてるし、それほど強くないです。

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