妲己は一般的に殷の最後の王・紂王の寵愛を受けた女性として知られています。
紂王は妲己の言葉に従い暴政をしき欲におぼれたため周の武王によって敗れ、殷の時代は終わりを告げることになります。
現在確認される最古の王朝・殷(商)は周王朝と同じく諸侯を束ねる存在であり、周は周辺諸侯と連携して殷を倒すことになりました。
殷王朝の時代には歴史書というものはありませんでしたが、甲骨文字が発明され祭祀の記録として亀甲に書かれていたり青銅器に刻まれていたため当時の状況が少しづつわかるようになってきています。
目次
妲己とは
妲己は現在確認されている最古の王朝・殷の最期の王・紂王こと帝辛の后とされています。
夏王朝の末喜・周王朝の褒姒とともに古代中国の悪女として知られています。
紂王の寵愛を一心に受け周の武王に破れ殷を崩壊させたとされています(武王克殷)
紂王・帝辛に献上される
紂王の時代、一諸侯であった有蘇氏は無実の罪を着せられ討伐されることになりました。
有蘇氏は敗戦濃厚となり降伏することになりましたが、この時に娘であった妲己を献上します。
紂王は妲己を大層気に入り、有蘇氏は罪人から一転褒美を受けることになりました。
紂王の側近は罪人から女人を献上して褒美を受け取るなど前例がなく、紂王の行いを嘆いたといわれています。
以後、紂王は妲己を溺愛し言うことは何でも聞いたとされます。
炮烙の刑
現在伝えられている炮烙の刑は二種類存在します。
一つは大きな銅製の柱に罪人を括り付け銅柱を熱して罪人を焼き殺すものでした。
横山光輝先生の「殷周伝説」でこの炮烙の刑を見ることができます。
もう一つが穴に銅製の丸太をかけ火をくべます。罪人がこの丸太を裸足で渡り切れば罪は不問とされていました。
しかし、この丸太には油が塗られており滑りやすくなっています。罪人は焼けた丸太を渡りますが滑って落ちそうになり丸太にしがみつこうとします。
しかし熱せられた丸太の熱さに耐え切れず火の中に落ちて焼け死んでしまいます。
妲己はこの炮烙の様子を見ながら笑い転げたとされています。
この炮烙は妲己は登場しませんが、同じく横山光輝先生の「戦国獅子伝」登場します。
戦国獅子伝は横山先生の作品の中でもえげつない表現が多いので、苦手な方は注意してください。
酒池肉林
紂王・妲己は贅沢を好みそのため税金が足りず増税が行われたとされています。
集められた税金は、国中から宝物を集めたり庭園に珍しい動物や野鳥を飼うために使ったとされています。
その中でも最たるものが酒池肉林でした。
池に酒を注ぎ、林に肉をかけ男女を裸にし追いかけっこをさせて昼夜の宴を開いたとされています。
最近の研究で殷王朝時代の池が発見されました。その池は長さ130メートル、幅20メートル、深さ1.5メートルで石を積み上げられて作られていました。
ただしこの池が実際に酒を注がれたかどうかはわかりません。
忠臣を粛清し始める
先王からの忠臣・比干は紂王に諫言します。
比干
すると横にいた妲己はすかさず
妲己
紂王
かくして比干は体を裂かれ死亡しました。
さらに紂王の暴政をみて隠居し狂人のふりをした簀子も捕らえられ処刑されました。
こうして殷には忠臣がいなくなりさらに荒れていくことになります。
周の武王・太公望
太公望・呂尚ははじめ紂王に仕えたとされていますが、暴君であったため殷を立ち去り周の文王に軍師として仕えたとされます。
周の文王は紂王に子供を殺され羹(スープ)として食わされたため恨みを持っていました。
殷を滅ぼそうとしましたが、志半ばで倒れ違う子の武王が跡を継ぎました。
武王と太公望は諸侯の力を借り殷を倒そうと紂王と牧野の戦いで激突します。
殷の兵数は70万人で周の連合軍は40万と数の上では不利な状況でしたが、ひとたび戦いが始まると殷軍は反転して紂王に襲い掛かり朝歌に逃げ込んだとされています。
朝歌に逃げ込んだ紂王でしたが、太公望は矢文を打ち込んだところ人民は蜂起し門を開けたため周軍はなだれ込んできます。
紂王は最期をさとり焼身自殺をしました。
武王は妲己の首を斬り旗にかけます。
周の武王
九尾の狐
明の時代の小説「封神演義」では狐の妖怪が妲己の体を乗っ取り紂王を堕落させたとされています。
この狐の妖怪が九尾狐狸または九尾の狐と呼ばれており中国のみならず朝鮮や日本でも認知されています。
日本では鳥羽上皇の寵愛を受けた女性・玉藻前に化けていましたが、陰陽師によって正体を見破られ退治しました。
退治された九尾の狐は殺生石となり毒を吐き近づく人間や動物の命を奪ったとされています。
妲己は存在していない?
妲己は後世の創作であるとするのが現在の定説です。
というのも殷代の甲骨文字で妲己が書かれていません。そもそも「妲」も文字すら使われていませんでした。
そして暴君の代表とされる紂王も現在の調査では祭祀を頻繁に行った君主とされています。
紂王の時代には数多くの祭祀の記録が残されており、妲己におぼれたという印象は後世の創作であります。
殷が滅びたのは紂王が東方に遠征軍を派遣したタイミングで、西方にいた周の武王が紂王のスキを突き殷を滅ぼしたとされています。
周の建国を正当化するため紂王を暴君とし妲己を登場させたのでしょう。