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三国志のあらすじを世界一わかりやすく!part1

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三国志という名前を知らない人はほとんどいないでしょう。

ゲームやマンガ、ドラマなど三国志を題材としたものは数多く存在しています。

ただ名前は知っているけどどんな話なのかは全く知らないという人も多くいらっしゃるかと思います。

そこでここでは三国志をざっくりとわかりやすく紹介して興味を持ってもらうためにあらすじを紹介します。

そもそも三国志って何?

三国志は中国の一時代の話です。

年代でいいますと西暦180年~280年あたりです。

最近絶大な人気を博しているキングダムや、項羽こうう劉邦りゅうほうが争った時代の後になります。

紀元前246年  始皇帝しこうていが即位(キングダムの時代)

紀元前202年  劉邦がかん(前漢ぜんかん)を建国

    25年  光武帝こうぶていが即位(後漢ごかんの成立)

   184年  黄巾こうきんの乱が勃発

  
一般的には黄巾こうきんの乱から三国志が始まったと考えて間違いはありません。

近年、キングダムが大ブレイクするまでは日本人の中で知名度・人気共に三国志が中国の歴史で一番人気のある時代でした。

現在でもその人気は健在でゲーム・アニメ・ドラマと毎年のように三国志が題材のものが発表されています。

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二つの三国志

三国志は大きく分けて二つの種類があります。

正史せいし三国志と三国志演義えんぎです。

正史せいし三国志は歴史書で陳寿ちんじゅという役人が書いたものです。

三国志演義は三国時代から1000年以上後に羅漢中らかんちゅうという人が書いたもので小説・読み物となります。

およそ日本の三国志のイメージは三国志演義と思って間違いないんですが、徐々に正史のイメージも浸透してきています。

大筋の流れとしてはどちらも同じですのでここでは特に言及しません。

前置きが長くなってしまいましたが、三国志を手短になるべくわかりやすく解説していきます。

後漢の衰退

およそ200年近く続いた後漢王朝も末期になると政治が乱れ国力が落ちてきました。

というのもこの時代には賄賂わいろが横行していていくら能力があり清廉潔白せいれんけっぱくな人物でも、賄賂なしでは出世はできずまた能力がなく評判が悪い人物でも賄賂次第で出世は思いのままだったのです。

この時代に台頭していたのが宦官かんがんという去勢きょせいされた役人(男性器を切り取った人)たちで、彼らは性欲がないかわりに権力欲や金欲がすこぶる多かったのです。

宦官は生殖せいしょく能力がないことから後宮こうきゅうにおおく勤めていました。そのため皇帝に発言しやすい立ち位置で徐々に発言力を強めていき後漢末期には政治の中枢ちゅうすうにも入り込むようになっていきます。

こうした宦官は朝廷ちょうてい大臣だいじん将軍しょうぐんから非常に嫌われていて見下されています。

中には曹操そうそう祖父そふ曹騰そうとうのように清廉派せいれんはの宦官も少数いましたが、ほとんどの宦官は賄賂を好み、賄賂を贈るものには昇進させ贈らないものは左遷させんしたりと政治を牛耳ぎゅうじっていました。

さらに時の皇帝(霊帝れいてい)が始めた”売官ばいかん”によって能力よりもお金を持っていることが昇進しょうしんする条件になりました。

この結果、役人は賄賂を贈るためのお金を民衆みんしゅうから徴税ちょうぜいすることにより重税じゅうぜいがかけられ、農民を辞めて山賊になるものまで出るようになります。

黄巾の乱

賄賂が横行し重税が課せられ、民衆の不満は高まる一方でした。

そんな中起ったのが184年に張角ちょうかく頭領とうりょうとして起こった黄巾の乱でした。

黄巾党こうきんとうまたは黄巾賊こうきんぞくと呼ばれるこの集団は頭に黄色の頭巾ずきんをかぶっていてこれは頭領である張角を下の者たちがまねたものです。

黄巾党の数は数十万に膨れ上がり中国各地で反乱が勃発しましたが、官軍かんぐんの働きと張角が病で亡くなったのを契機けいきに次第に瓦解がかいしていきます。

しかし、黄巾党が完全に滅びることはなく残党が各地に残り続けました。

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董卓の台頭

黄巾の乱が落ち着き始めると、今度は霊帝が没して次の皇帝争いを宦官と時の大将軍・何進かしんが争い始めます。

何進は地方から軍を招いて宦官に対抗しようとしますが、何進は宦官にはめられ死んでしまいます。

この混乱に乗じて運よく董卓とうたくは皇帝(少帝しょうてい)とその弟の陳留王ちんりゅうおうを保護することになります。董卓が洛陽らくように入って間もなく無理やり陳留王を皇位につかせて献帝けんていとし、自身を相国しょうこくという臣下の最高の位につきます。

董卓が宮中を支配すると洛陽では、富豪ふごうから金品を巻き上げたり兵士らが村娘に狼藉ろうぜきを働いたりと大いに乱れました。

反董卓連合はんとうたくれんごうの発足

当時何進の部下だった袁紹えんしょうは董卓が洛陽を支配すると脱出し、反董卓連合の盟主めいしゅとなります。

この反董卓連合には他にも袁術えんじゅつ孫堅そんけん曹操そうそうなどがいてとくに孫堅は華雄を打ち破るなど活躍します。

その後董卓は形勢が不利とみて都を洛陽から長安ちょうあん遷都せんとします。この時董卓は反董卓軍に武器や兵糧が渡らないように洛陽に火をかけ民衆たちを無理やり長安に移動させています。

反董卓軍では袁紹と袁術の対立が浮き彫りになり事実上解散となります。

呂布りょふ王允おういんの反乱

反董卓連合が瓦解がかいして一安心と持っていた董卓に、悲劇が訪れます。

信頼していた義理の息子と重臣の王允が共謀し、偽のみことのりを使い董卓をおびき寄せ殺害します。

民衆は董卓の死を喜びあったが、間もなく10万をようする李確りかく郭汜かくしの軍に破れ呂布は逃亡、王允は処刑されています。

その後長安と献帝を抑えた李確・郭汜ですが、内政は全くせず好き勝手に長安をく荒らしたとされています。長安では食料がなく人が人を食べて飢えをしのいでいたようです。

献帝は臣下の助けで長安を脱出し洛陽に入りましたが、まもなく曹操の庇護下ひごかにはいり都を新たにきょに移しています。

名作”三国志 Three Kingdoms”を無料で視聴する方法

三国志は映画やドラマなどいろいろな作品がありますよね!

その中でも本場・中国で制作された”三国志 Three Kingdoms”は名作との呼び声が高く、管理人自身自信をもってお勧めできる三国志ドラマです。

実はYouTubeなどにもあるにはあるんですが、全部の話はなくとびとびの話しかなかったり違法行為なので運営から削除されて見れなくなったりしています。

ですが、FODプレミアムに登録すると”三国志 Three Kingdoms”の全話が見れて一か月以内に解約さえすれば料金は全くかからないんです。

 

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