文鴦は生年238年から没年291年の人物です。
正史・三国志や三国志演義に登場します。
しかし、横山三国志では登場しないため、
日本ではなじみがない人が多いかなと思います。
目次
文鴦ってどんな人?
文鴦は生年238年から没年291年の人物です。
正史・三国志や三国志演義に登場します。
しかし、横山三国志では登場しないため、
日本ではなじみがない人が多いかなと思います。
結構所属がややこしい人物で最初魏に仕えていました。
しかし、当時魏を牛耳っていた司馬家が気に入らず父・文欽とともに反乱を起こします。
当然のごとく司馬師に負けた文鴦は呉に亡命。
しかし、諸葛誕の乱で今度は司馬昭に降伏し再び魏に戻っています。
その後、魏は晋に禅譲したためそのまま司馬家に仕え、
晋の将軍として異民族を撤退させた実績があります。
しかし、晋の初代皇帝・司馬炎に嫌われて免職されています。
最期は、偽の反乱の罪で処刑されるという悲しい終わりを迎えています。
趙雲と同格の強さ?
文鴦は並外れた武勇を持っていて、
戦場での活躍は、蜀の名将・趙雲の再来とされていました。
しかし、実際には趙雲と文鴦が対峙したことはありません。
そもそも趙雲の没年は229年で文鴦の生年は238年と出会うことは不可能です。
ちなみにこの趙雲の再来というのは三国志演義での記述です。
文鴦は確かに武功も上げていますし、戦もうまかったと思われます。
しかし、これだけで趙雲の再来というのはちょっと言いすぎな感じがします。
趙雲と比較される背景には司馬家とのかかわりがあると思われます。
司馬師・司馬昭とそれぞれ戦い、また司馬炎の下に仕えたとき、
明確な理由もないまま免職されています。
さらに最後は司馬家の者に手により謀殺されています。
三国志演義は基本的に、曹操・司馬家は悪、劉備・諸葛亮は善というスタンスです。
ですから、悪である司馬家(司馬師・司馬昭)に立ち向かった文鴦を引き立たせるため、
趙雲に匹敵すると書かれたのではないでしょうか。
司馬師・司馬昭の父で司馬炎の祖父・司馬懿の記事はこちら
ゲームで知名度上昇
文鴦は前述の通り、漫画版三国志・横山三国志には登場しません。
なので、日本での知名度はほとんどありませんでした。
特に、文鴦が登場してきたのは諸葛亮や孫権など、
三国志序盤で若い世代だったメジャーな方々も亡くなった後でした。
魏はほとんど司馬家のものになっていて乗っ取られるのも時間の問題。
蜀は北伐続きで国力は低迷していて風前の灯火、
呉は孫権が晩年突如暗君と化し後継者争いも勃発し派閥争いが起こっていました。
このような状況でしたから英雄が活躍していた三国志序盤の面白さはほとんどなく、そのため今まではマンガ・ゲームでも取り上げられてきませんでした。
しかし、現在では流れは変わってきて少しずつゲームなどに登場するようになり、文鴦の知名度も上がってきました。
有名どころだと、コーエーテクモの三國無双で、
文鴦が操作キャラに出てきたのが大きいと思います。
なぜ”文鴦の寿司”
三國無双などで少しずつ知名度上昇中の文鴦ですが、
ここにきて文鴦の知名度を爆上げしたゲームが登場しました。
そのゲームは「三国志大戦」
アーケードのオンラインゲームで、手札のカードを駆使して戦うゲームです。
文鴦が有名になったのは三国志大戦で最強カードとなったからなんです。
ここまでだと無名なカードが最強カードになっただけなんですが、
問題はソコじゃありません。
実はこの文鴦のカードはあるマンガとのコラボカードです。
ん?なにか嫌な予感がしませんか?
とりあえずカードの画像を見てみてください。
驚愕されているところ悪いのですが、
せっかくなのでカードの説明も見てみましょう。
寿司屋・文寿司の跡取り息子。大手の悪辣な戦略により廃れた実家の再興を志したという。
司馬師との戦いを経て、一時は呉の名店に修行入りした。
基本を忠実に守った鍛錬と奇想天外な発想で、多くの寿司職人に勝利を収めた。
なにか思っていたイメージと違いませんか?
実はこれ人気寿司マンガ・”将太の寿司”とのコラボカードなんです。
カードの説明文も、
なんというか将太の寿司の主人公と文鴦の話が混じってまったくわけわからん状態になっています。
呉の名店って広島の呉(くれ)の寿司屋ってことですか?
もはやツッコミどころ多すぎますね。
これが話題になった”文鴦の寿司”のあらましです。
いわゆる運営のお遊びってことですかね。
いろいろと斜め上からの知名度の上がり方で、困惑する方もいるかと思いますが無名キャラにスポットが当たる状況は悪いものじゃないですね。
(見た目が関口翔太じゃなければ・・・・)