【キングダム】桓騎を徹底解説!史実でも李牧により死亡?弱点や死因は?

キングダムの中でも異色の将軍・ 桓騎 かんき

登場時は老将ろうしょう蒙驁もうごう副将ふくしょうとして登場しましたが、
いきなり敵に目玉をプレゼントして衝撃のデビューをしています。

一方、合従軍がっしょうぐん編では少数で敵陣に侵入するほど肝が据わった男でもあります。
(この時の桓騎かんきは死ぬほどカッコいいのでぜひ見てください)

今回は考察こうさつをまじえて桓騎かんき将軍を紹介したいと思います。

桓騎 はどんな人?


桓騎かんきは今から約2200年前に実在した中国戦国時代のしんの将軍です。

キングダムでの桓騎かんきは奇策を駆使して敵の裏をかく戦術を得意としています。

元々はしん南方なんぽうの山を拠点にしていた野盗の首領で、
しんの討伐軍を相手に手玉に取るほど戦いの才がある人物だそうです。

生まれが早ければ、王騎おうききょう白起はくきら六将と肩を並べたであろうといわれています。

一方で性格は残忍で投降とうこうした兵士に容赦がなかったり、
略奪りゃくだつを働いたりとおよそ正規兵とは呼べない戦い方をしたりもします。

しかし、作中では完全な悪人のような描かれ方はしておらず、
むしろカッコよさを強調されるシーンも多くあります。

史実での 桓騎


桓騎かんきですが史実しじつに登場しているれっきとした歴史上の人物です。

ここでの史実しじつ史記しきという歴史書ですが、
有名なので名前を聞いたことがある方もいるのでは?

桓騎かんきが初めて歴史に出てきたのが
始皇帝しこうてい・政が王になってから10年目の紀元前237年。
この年から桓騎かんきが登場します。
➀紀元前237年
この年に桓騎かんきは将軍職についたとされています。

➁紀元前236年
翌年には王翦おうせん楊端和ようたんわとともにちょうを攻め、ぎょう周辺の9城をとりそこに留まっています。

➂紀元前234年
さらに翌年には扈輒こちょうを武遂で討ちこの時ちょう兵10万人の首を討ったそうです。

➃紀元前233年
三度、ちょうを攻め平陽へいよう武城ぶじょうを攻め平定する。
赤麗せきれい宣安せんあんを攻め宣安せんあんでは将軍を打つなど活躍したものの。
大将軍・李牧りぼく肥下ひかの戦いで敗れ敗走はいそうしたとあります。

以上が歴史書における桓騎かんきの記述です。

思っていたよりもかなり少ないじゃないですか?
これだけ見ると完全にモブキャラ的な立ち位置で、
とてもあの妖しくもカッコいい桓騎かんきは想像できません。

王翦おうせん李牧りぼく蒙恬もうてんなどは歴史書の記述も豊富で、小説などでもよく登場する人物です。
一方、桓騎かんきが出てくる作品はパッと思い浮かぶものがありません。

それだけ桓騎かんきが活躍し続けているキングダムは異色な作品といえるかもしれません。


桓騎 と李牧

李牧りぼくしんの敵国・ちょうの大将軍です。

政がしん王になって初めてしん軍を退けた相手で、
天下統一の最大の障害になった人物といえます。
(この後、しんが負けたのは項燕こうえんだけ)

キングダム作中では合従軍がっしょうぐんの総大将も務めていましたが、
実際にはこの時はまだ北方民族の匈奴きょうどを相手にしていました。

ちょう扈輒こちょう桓騎かんきに敗れるとちょう王は李牧りぼくを大将軍に任命します。

その後は肥下ひかの戦いで桓騎かんきと戦い敗走はいそうさせると書かれています。

端的に言ってしまうと桓騎かんき李牧りぼくの噛ませ犬の様な立ち位置になってしまいます。
(あくまで歴史上での話です)



 

肥下の戦いと 桓騎 の最後の死因

 
歴史書では桓騎かんき李牧りぼくに負けるまでも死亡したとは書かれていません。
(扈輒こちょうはしっかり戦死と書かれています)

桓騎かんきがこの後どうなったかは想像するしかないですが、考えられるのは2つですね。

しんに戻り処罰しょばつされた
命が助かり逃げ延びても自国に帰ると負け戦の責任をとらなければなりません。
運が良ければ軍を離れるぐらいで済むかもしれませんが、最悪死罪になる可能性があります。

特に作中での政は桓騎かんき略奪りゃくだつをよく思っていない感じなので、死罪になるのではと考えられます。

➁野盗に戻る
桓騎かんきの性格からするとこっちのほうがありうるかなと思います。
特に桓騎かんきの強さは野盗上がりの部下がいて初めて成り立つ強さなので、
部下がやられ正規兵を補充されても再度戦うことが不可能なのではと思います。

しんに戻っても処刑されるかもしれないし、再び戦いに行けといわれても部下がやられた状態では勝てない。
この状況から桓騎かんきは昔のように野盗に戻る選択をするのではと考えられます。

桓騎の弱点とは

キングダム作中で李牧りぼく桓騎かんきの弱点を見つけたと意味深な発言をしています。
慶舎けいしゃも同じことを言っていますが、桓騎かんきの弱点とは何なのでしょうか?

考えられるのは2つです。

➀桓騎兵の存在


桓騎かんきの戦いには野盗時代からの部下である桓騎かんき兵が必要不可欠です。
桓騎かんきの作戦は桓騎かんきという頭脳と手足となって動く桓騎かんき兵がいて成り立ちます。

つまりは桓騎かんき兵がいなくなれば桓騎かんきは並以下の将軍になります。
李牧りぼく桓騎かんき兵だけをおびき寄せるなどして一網打尽にすれば、
桓騎かんきの勝ちは無くなるでしょう。

➁敗残兵に容赦ない

王翦おうせんは敵国の兵士であっても降伏こうふくすれば命を奪うことはありません。
(むしろ我の国の民となれといいます。)

対して桓騎かんき扈輒こちょうを倒した際に10万もの兵士の首を落としています。
これを知ったちょう兵はどう思うでしょうか。

負ければ命が助かることはないと思い、文字通り死に物狂いで戦に向かうはずです。

ましてや桓騎かんき軍は略奪りゃくだつが当たり前の軍隊、城にいる家族の命も助かる見込みはないでしょう。

このため、桓騎かんきちょう兵の力を増強してしまい、結果敗れるのではなかと考えられます。

桓騎の靴の紋章

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

桓騎かんきの靴を見てみるとふくらはぎと足の甲の部分に黒い太陽のような紋章が見えます。

キングダムの時代にひまわりは存在していないので、もちろん太陽を表しているものだと思われます。

そしてこの太陽の紋章は足にしかありません。

さてこれはどういうことなのでしょうか?

キングダムの時代、中国の戦国時代の時代背景から考えていきたいと思います。

なぜ”黒い”太陽なのか

この桓騎かんきの靴の太陽のマークのことを考察こうさつしているうちに、
Youtubeなどでもこのことに触れているものがありました。

しかし、そこでは太陽のマークの考察こうさつのみで

太陽が黒い理由については考察こうさつされていませんでした。

正直、その方の考察こうさつだと太陽が黒くなくてもいいはずです。

作者である原先生がわざわざ黒く塗ったのは意味があるはずです。

そのことを踏まえて当サイトでは考察こうさつしたいと思います。

皆既日食を表している説

黒い太陽としてまず浮かんだのが皆既日食かいきにっしょくの時の太陽。

まさに黒い太陽そのものです。

キングダムの時代、日食は不吉なものとされていました。

いまでは太陽の前に月が出てきて、太陽光を遮っていると多くの人が知っています。

しかし、キングダムの時代である紀元前ではもちろん知られていませんでした。

実際には天文官が日食を予測していたそうです。

日食は王の崩御ほうぎょや不吉の象徴として考えられていました。

そこから考えられるのは桓騎かんき自身が不吉を運んでくることです。
黒い太陽を足にのみかいているのも運んでくるのを象徴していると思います。

桓騎かんきは過去に首切り桓騎かんきと呼ばれていたり、ちょう軍10万を殺害しているので、

桓騎かんきが不吉を運んでくるという原先生のメッセージなのかもしれません。

3本足のカラスを表す説

意外かもしれませんが古代中国の人は、太陽にカラス(烏)が住んでいると思っていました。

なぜ黒いが太陽にいると思われたかというと、太陽にある黒い点である黒点が由来とされています。

太陽の黒点はカラスが住んでいるから、黒くなっていると古代中国の人は考えていたんですね。

そして、太陽に住んでいるカラスは普通のカラスではありません。
足が3つある三本足のカラスです。

日本でも神話に出てくるカラス・八咫烏は三本足です。

古代中国では太陽が東から登り西に下りるのは、カラスが太陽を運んでいるからと考えられていました。

中国の神話ではもともと、太陽とカラスが10個ずつあったそうです。

しかし、太陽が10個あった結果草木は枯れ大地は干からびてしまいました。

そこで時の為政者・尭は部下に太陽を9個、カラスも9羽射殺して、太陽1個・カラス1羽にし地上に平穏をもたらせたという伝説が残っています。

実際には太陽が10個あるわけがないので、この説を鵜呑みにはできませんが太陽は少数民族の王そしてカラスはその少数民族を表しているという説があります。

この太陽が少数民族の比喩ひゆとする説から桓騎かんきの靴の紋章を考察こうさつします。

そこで考えられるのが桓騎かんきは少数民族の出身、しかも王族だったのではないでしょうか。

桓騎かんきの過去はいまだ秘密にされたままですし、桓騎かんきの謎の一つでありますよね。

桓騎かんき軍の最古参・砂鬼さきは、桓騎かんきの根にあるのは岩をも溶かすほどの怒りだといっています。

このことから桓騎かんきの過去に国を滅ぼされたのではないかと考えられます。

桓騎かんきの靴(カラス)に自身(太陽)を運ばせ各地でかん民族を虐殺することで、少数民族の過去の怒りや恨みを示しているのではないでしょうか。

桓騎軍の刺青

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

桓騎かんきの靴と同じように桓騎かんき軍にも謎があります。

桓騎かんき自身にはないのですが、桓騎かんき軍の部下には刺青をつけた人たちがいます。

参謀さんぼう魔論まろんをはじめ拷問部隊の砂鬼さき、そして元部下の那貴なきたちです。

特に、砂鬼さきは背中にびっしりと入れらています。

古代中国における刺青の意味

刺青は古代中国でも入れられてきました。

しかし、現代人がファッションで入れるような感覚のものではありません。

宗教的な意味合いを持っていたり、その民族伝統のもの

そして刑罰としても用いられました。

罪人の証としての刺青

古代中国では刑罰として額に刺青を入れていました。

この刑罰を墨(ぼく)・黥(げい)と呼ばれて額に墨で文字を刻まれたものです。

これは墨刑とも呼ばれ、キングダムの少し後の時代の将軍・英布がこの刑罰を受けたことで有名です。

キングダムのしんでも似たような刑罰がなされていたようですが、桓騎かんき軍の刺青は額には書かれていません。

魔論まろん那貴なきは頬にありますし、砂鬼さきは背中に書かれています。
そもそも墨刑は文字を刻まれるものですが、模様を入れられていることからも刑罰ではないでしょう。

そのため、極悪集団の桓騎かんき軍であっても刑罰によって刺青をされたわけではないようです。

少数民族の刺青の風習

刺青は刑罰としてだけでなく、伝統や儀式のために入れている民族もいます。

中国の多数派・かん民族はそのような刺青文化は持っていませんが、それ以外の少数民族の中には刺青文化を持った人たちが存在します。

特に刺青をしていたとされる民族たちは長江ちょうこうの下流域の地方、キングダムの地図でいうとの東に住んでいました。

この地方の人たちが刺青をしていたのは歴史書・史記しきにも書かれています。

もしかしたら桓騎かんきはこの地方出身の王族で、そのことを忘れないように部下に刺青をしているのではと考えられます。

桓騎の怒りを靴の紋章と刺青から考える

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

以上の考察こうさつをまとめると、

桓騎かんきは海洋国家の少数民族出身の王族で、怒りの原因は自身の国家を滅ぼされたことだといえます。

また、王翦おうせんのように国家を築き上げるということに興味があるように思えません。

桓騎かんきの目的は自身がそうであったように、王族であってもいつかは滅びてしまう。

この世には滅ぼす側と滅ぼされる側の人間がいる、滅ぼされる側は悲惨だから滅ぼす側になってやろう。

ということではないかと思います。

そして桓騎かんきは野党時代も六将になってからも多くの人の命を奪っています。

なぜこのようなことをするのかというと奪われた側の人間が奪う側になり、自分を追い詰めることを防ぐためです。

桓騎かんき自身奪われる側から奪う側になることができたので、滅ぼした敵から同じような人間が出ないとは限りません。

自分が滅ぼされる可能性を下げるという意味で多くの敵の命を奪うことに戸惑いがないのでしょう。

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