曹操の梅林のエピソードは本当か?中国ではあまり知られていない?

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曹操そうそうが真夏を行軍中、兵士たちに与える水が切らしてしまいました。

近くに水源もなく、
このままでは兵士たちの士気は下がり最悪脱走してしまうかもしれません。

さて、この時曹操そうそうはこの局面をどう乗り切ったのでしょうか?

今回は曹操そうそうが兵士の喉を潤すために用いた策についてみていきたいと思います。

曹操がまだ小国だったころの話

時はまだ群雄が割拠する時代、のちにを建国する曹操そうそう
この時はまだ小国の君主くんしゅにすぎませんでした。

四方すべてに敵がいる状況で袁紹えんしょう袁術えんじゅつ呂布りょふ劉表りゅうひょうのほかにも、
献帝けんていに逃げられたばかりの李確りかく郭汜かくし黄巾こうきん党の残党ざんとうもまだ活動していました。

このような状況でしたから、戦が続いており兵士や国力も疲弊ひへいしている状況です。

並みの君主くんしゅだったらこのまま他の勢力に呑まれ、曹操そうそうの名前もここまで広まることはなかったことでしょう。

曹操そうそうの梅林の逸話いつわはこのような状況の時に生まれたものです。

梅の話で兵士の渇きを止める

曹操そうそう張繍ちょうしゅう軍に向けて進行中、水源がない不毛地帯を歩いていました。

時期は夏で兵士たちは喉の渇きを訴えていました。暑い日差しの中、

重い防具と武器を持っての行軍はまさにデスマーチといったところ。

このままでは戦にならないと感じた曹操そうそうは兵士に激を飛ばします。

曹操

皆の者、もう少しの辛抱だ。
この山を越えると梅の林がある。
そこで好きなだけ梅の実を叩き落して食え

すると兵士たちはすっぱい梅の実を頭の中で想像し口に唾液をわかせることで、
のどの渇きを忘れ水源があるところまで行軍できたそうです。

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梅林止渇の現代での意味

このエピソードは梅林止渇ばいりんしかつという名前の故事成語として現代に残っています。

意味はあまり当時と変わらず、

別なものでその場をしのぐことです。
ちなみに梅林止渇ばいりんしかつがでてきたのは” 世説新語せせつしんご“というものです。
世説新語せせつしんご後漢ごかん末から東晋とうしんまでの逸話いつわを集めたものです。

正史せいしにのっていなかったため、この故事は後世の創作と長らく思われていましたが、
現代の研究によると梅山村という場所に明の時代では止渇亭なる場所があったそうです。

確実にあったといえる物証ではないですが、可能性としては十分にあるのではないでしょうか。

個人的に好きなシーンですので実在してほしいというのが、本音ではあります。

まとめ

以上のエピソードは曹操そうそうの優秀さを表すエピソードですが、
正史せいしには出てきませんし、三国志演義でも曹操そうそう劉備りゅうびの宴会で回想としてちょこっと出てきただけです。

しかし、この曹操そうそうと梅林の話は三国志好きの中では結構知られています。

その理由は横山三国志でこのエピソードが採用されているからです。
しかも知略にたけた名将めいしょう逸話いつわとして扱われており、曹操そうそうファンのなかでは記憶に残るシーンといえます。

一方で、中国でこの梅林のエピソードは知略を駆使して困難を乗り切ったものとしては描かれていません。

むしろ味方の兵士をだまして渇きを忘れさせたずる賢い男みたいな描かれ方をしているそうです。

中国人から見ると、日本人の曹操そうそう好きは異常!!

らしいのですが、こういったことの積み重ねで中国では、
曹操そうそう=悪役の図式が浸透しているみたいですね。

個人的には、中国人の関羽かんう好きは異常!!!

と思っていますがこれはそれぞれの国民性の違いかもしれませんね。

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