越王勾践は春秋戦国時代の末期にいた越国の王で、宿敵・呉王夫差を倒し覇者となった人です。
覇者とは当時の名目上の支配者である周王室に代わり中華の秩序を守る役目を預かった者をいいます。
しかし、勾践が王になったばかりの越は覇者となれるような強国ではなくむしろ隣国・呉に敗れ亡国の危機を迎えていました。
勾践は呉に降伏し虎視眈々と越の復興を成し、ついに呉を倒すまでの強国となります。
越の武力を支えた刀剣は当時から評価が高く古来から珍重されてきましたがその中で最も有名なのが越王勾践剣です。
目次
越王勾践剣とは
越王勾践剣は勾践が所有していた8本の名剣のこととされています。
そのうちの一本が1965年に遺跡から発掘されました。
剣には「越王勾践自作用剣」と彫られていたことで勾践の剣とわかりましたが、なぜか越があった場所ではなく楚の領土から発見されています。
しかも発見された遺跡は戦国時代中期のもので越はすでに滅んでいる時期です。
楚が越を滅ぼした後に越王勾践剣を持ち帰ったのでしょう。
現在では中国の国宝として湖北省の博物館に展示されており、国外持ち出しが禁じられていますのでここでしか見られないものです。
剣には格子状の文様が刻まれていて宝剣と呼ぶにふさわしいものです。
呉越に名剣が多い理由
荘子には「呉越で作られた剣を持つものは箱に収め用いることはせず宝とした」とされ当時から越の剣は名剣とされていたことがわかります。
また、呉越の地には伝説的な名匠の名前も残っていて欧冶子や干将・莫耶の人物が有名です。
当時の剣はほとんどが銅と錫の合金の青銅で作られていたので、銅山があった呉越の土地は剣の製造に向いていたと思われます。
越王勾践剣の材質
当時の剣は青銅製でした。越王勾践剣もそれと同じく銅と錫が使われている青銅製です。
しかし、春秋時代に鉄がなかったわけではありません。春秋時代に鉄で作られたものが出土しています。
しかし、それは農具として作られたものでした。
なぜ鉄製の武器がなかったといわれると考えられるのは、鉄が脆かったからではないでしょうか。
鉄は混ぜ物をして初めて強靭な性質を発揮できます。現代で使われている鉄はそのほとんどが純度100%のものはほとんどありません。
当時の技術では強靭さという点で青銅のほうが好んで使われていました。
越王勾践剣は中国の研究機関で元素分析された結果、銅・錫が主成分で鉛・鉄・硫黄が含有されていることが分かっています。
クロムメッキされているのは本当か?
越王勾践剣の不思議なところは2000年以上たった現在でも錆びていないところです。
展示されている剣の画像を見ると、春秋時代のものとは到底思えません。
そのため、昔はオーパーツとされ錆びないのはクロムメッキされているからだといわれていました。
クロムメッキは鉄を錆から守るように施されたもので、現代でも水道の蛇口がさび付かないのもこのクロムメッキのおかげです。
しかし、元素分析された結果クロムの元素は発見されなかったことからこの説は否定されました。
なぜ、越王勾践剣がクロムメッキされているといわれたかは定かではありませんが、考えられるのは剣が時を超えても錆びつかないことからそのデマが流れたのではと思われます。
実際に越王勾践剣が錆びから守られているのは、微量に含まれる硫黄のおかげとされています。
この硫黄が剣をコーティングするように分布して酸素から守っているのでしょう。