荀攸の生涯や功績と死因とは?親戚の荀彧や程昱との違いは?

荀攸ってどんな人?地味だけど堅実でミスがほとんどない穏やかな人

荀攸(じゅんゆう)、字は公達(こうたつ)。

数多くの軍師を輩出した豫州潁川郡潁陰県の出身で、父の荀彝は州の従事でしたが、荀攸が子供の頃に若くして亡くなっています。当時の曹操軍には郭嘉や荀彧、賈詡や程昱といった、有名で優秀な軍師がキリがない程いました。その中で荀攸は的確な奇策を多く献策するも、記録に残らないことが多かったため、どうしても影に隠れ地味にうつりがちです。

曹操の遠征にはほとんど従い、その進言にはハズレがなく、信頼は郭嘉や荀彧にも劣りませんでした。それでいて分をわきまえ、目立つことなく慎ましく生きたため、曹操は郭嘉の死以降は特に信頼し、後継者となった曹丕には「荀攸は人の手本となる人物」、人生の師だから必ず尊敬し、礼を絶やしてはならないと命じています。

その影に隠れ気味な荀彧や程昱との関係は?

荀彧と名前が似てる人、多分親戚なんじゃないの?というくらいのイメージが最初は強いのではないでしょうか。実際荀彧は叔父ですが、荀攸の方が6歳年上で少し分かりづらい関係です。荀攸の曽祖父と荀彧の祖父が兄弟であり、荀攸の曽祖父が荀彧の祖父よりもかなり年長の兄だったため、荀攸は年長ながら、荀彧の甥という関係にあたります。

数多くの優秀な人材が揃った曹操軍の中でもやはり郭嘉と荀彧は別格、荀彧は「王佐の才」と言われる程の才能を持ち、創業当時から曹操を支え、信頼度も抜群です。見た目も荀彧は顔が良く、実際に「顔がカッコよく、姿も立派だ」という碑文も残っており、帽子をへこませたまま直さずにいたら、みんながそれをカッコイイと思い、真似をした程のいわゆるイケメンです。

性格も自分の功績を誇らず、昇給した分は親族や友人へ分け与え、恨み言も一切言わない。頭の良さも加えて、こんなにもハイスペックすぎる男、荀彧と比べられてしまうとどうしてもその影に隠れてしまいます。実際に荀攸は大人しくぼんやりし、愚か者のようで智謀があるようには見えず、いつもオドオドした態度は臆病者のようで、弱々しい印象だったようです。

荀彧は国家戦略の基本方針など、まさに国の柱となる最も重要な役割をこなしており、
主に内政に関することに功がありました。荀攸はどちらかというと軍略の才をもち、遠征にも帯同し、戦術立案の達人でした。

他にもよく程昱、賈詡と併せて、この5人が曹操の参謀として挙げられますが、程昱と荀攸がこの中でも地味に思われることが多いです。そんな地味なところが似ている程昱ですが、程昱は参謀でありながら、その智謀だけでなく、将軍もこなせる程の武力にも優れていました。

191cmの体躯に見事な頬&顎髭を蓄えたいかつい外見で、他人とぶつかることも多い剛胆の士。見た目も性格もあまり軍師というイメージには似つかわしくない、どちらかというと将軍の風貌が似合います。荀攸はそういう面ではまさに軍師、というイメージがぴったりかもしれません。

幼い頃から優秀でその能力を発揮


荀攸は幼い頃に父を亡くし、そのため叔父の荀衢に養育されます。その経験の中で荀攸は注意深い観察眼を身に着けていきます。

8歳の時に叔父の荀衢が酔っ払い、誤って荀攸の耳を傷つけてしまいます。当時は儒教全盛の時代で、親からもらった体に傷をつけるのは大変タブーなので、荀攸は叔父に後悔の念を抱かせないよう、叔父の前では常に耳を隠していたそうです。後にそれを知った荀衢は、大いに驚くと同時に、子供らしからぬ気遣いに感謝し、一目置くようになります。

13歳の時には広陵太守である祖父の荀曇(じゅんたん)が亡くなり、この祖父の部下であったという、元下役の張権という男が荀曇の墓守をしたいと申し出た事がありました。張権の挙動不審さが気になり、「その人はなんか悪いことをしてきたので、祖父の墓守をするという名目で逃げようとしているのではありませんか」と荀衢に相談。荀衢が調べてみると、張権は他所の土地で殺人を犯しており、墓守をして罪を逃れようとしている事が分かったそうです。荀衢はこの荀攸の直感力をほめ、さらに彼に信頼を置くことになります。

朝廷へ就職してから曹操にスカウトされるまで

黄巾の乱を制圧した頃、宮廷内では外戚と宦官の争いが勃発します。皇帝、霊帝の奥さんである何皇后の異母兄である何進は、以前から宦官が気に食わず、いつか宦官を全滅させてやろうと企んでおりました。その準備として、名士として名高い人物達を集めて部下に加えます。

この中に荀攸も入っており、彼は何進の招聘を受けて朝廷へ就職することになります。何進が大将軍となると、中央に招聘され黄門侍郎(皇帝に近侍する職)となります。しかし、何進は宦官の暗殺にあって亡くなってしまいます。

その後、漢の朝廷を牛耳ったのは董卓で、彼は皇帝の弟である劉協(後の献帝)を皇帝の位に就け、元皇帝である劉辯(少帝弁)を部下に命じて殺害。他にも洛陽の富豪から財産を取り上げて自分の物にするなど、やりたい放題で民衆の恨みを買っていきます。

その専横に憤り、荀攸は数人の仲間と共に董卓暗殺を計画。しかしこの計画は実行直前でバレてしまい、荀攸をはじめとする仲間達は全員捕まり投獄、死刑判決まで受けてしまいます。

荀攸と共に捕まった仲間はこのまま殺害されることを恥だと思い、自殺してしまいますが、荀攸は牢屋で出される食べ物をしっかりと食べて、夜は平然と寝て、尋問にももしっかりとした口調で受け答えをしており、牢屋の番人も大いに驚いておりました。しかし、死刑執行前に董卓が王允らに暗殺されたため、無事に牢獄から助け出されました。

その後帰郷しますが、優秀な成績のため再度召し出され、中原の太守へ任命する話をもらいますが、動乱真っ只中の中原では命がいくつあっても足りないと思い、この話を断ります。そして安全な場所を求め、益州が断崖絶壁に囲まれて戦乱から遠く、民衆も戦乱の被害を受けていないことから土地が豊かであると判断し、蜀郡の太守になりたいと中央へお願いします。

朝廷もこの願いを聞き入れ、赴任地である蜀へ向かおうとしますが、益州牧(現在の四川盆地・漢中盆地一帯を治める長官)の劉焉や、五斗米道の混乱により荊州で足止めされてしまい、しばらく留まる事となりました。

そこで益州へ渡る方法を探しているさなか、はとこである荀彧から手紙が届きます。その内容は「公達殿お元気でしょうか。私は今曹操殿に仕えておりますが、彼は素晴らしい才能を持った主人です。公達殿がまだ仕官先を探しているのであれば一度曹操殿と会ってみてはいかがですか。」と仕官の誘いでした。

優秀な才能を持っている荀彧が曹操をベタ褒めしているので、一度会って話くらいはするかと考え、益州行きをやめて曹操の元へ向かうことにします。

許に到着するとすぐに曹操と会見。曹操は荀攸に軍事・政治を語り、彼がどのような能力を持った人物であるのかを観察しました。この質問に荀攸はよどみなく自分の考えを述べて曹操を驚嘆させ、すぐに自分に仕えるようにと説得します。荀攸も曹操が自分を気に入ってくれたことに感動し、彼に仕える決意を固めます。

こうして荀攸は曹操に仕えることになります。

曹操を支え続けたおとなしい軍師


張繍征伐(曹昂、典韋が死んだ後の戦い)時には献策が用いられませんでしたが、この時荀攸が予見した通りの展開となって、曹操は敗北してしまいます。そのため曹操は荀攸に「君の意見を取り上げないばかりに敗北してしまった。申し訳ない」と頭を下げて謝罪したそうです。それ以後、重用されるようになりました。

張繍討伐戦、呂布討伐戦、延津の対峙など、大事な戦いが行われる時は必ず曹操軍の軍師として従軍し、数々の功績を挙げました。しかし郭嘉や荀彧などの軍師達のように華々しい献策を行い、人々から称賛を浴びているような軍師とは違い、控えめで自らの功績を誇るようなことを一切しませんでした。それは曹操から警戒心を抱かれないようにするためでした。

曹操は優秀な人物が大好きで、どんどん発掘して採用し、活用していきます。しかしその反面、自分を脅かす程の才能を持つ者に対して警戒心も蓄えてしまいます。自らの才能を他人や曹操に見せびらかして、勝手に曹操の意中を先読みしてしまったことが原因で殺害されることになってしまった楊修。彼のようにならないために自らの功績をアピールしないで控えめにしていることで、曹操から警戒心を抱かれないよう努めておりました。

河北統一が完了した後、一気に天下統一をするべく軍を南下。荀攸はこの時も従軍して曹操の軍師として活躍していますが、赤壁の戦いでの敗北が原因で、天下統一から遠ざかってしまいます。その後朝廷から曹操は魏公の位に就任することになると、荀攸を魏の尚書令の位に就任させます。こうして魏の政権内において権力の中枢を握ることになり、魏国において重用されることになります。

曹家から愛された男

孫権討伐従軍時に病に倒れ、まもなく陣中で死去、58歳でした。曹操は荀攸の話をする度に涙を流したといいます。

荀彧は漢朝の臣という正統派の態度を終始持ち、曹魏王朝の建国にも慎重であったため、晩年関係が悪化したのに対し、早くから後漢を見限っていた荀攸は曹魏王朝の建国にも前向きで積極的でした。そのため曹操との関係は終始良好であったといわれます。

荀攸の死に際して布令し、「荀攸と周遊すること二十余年、彼には一つの失点もなかった」、「荀攸は真の賢人であり、温・良・恭・倹・譲によりこれを得ていた。孔子が晏嬰の徳を称えたように、荀攸こそその人である」と述べました。曹丕も曹操から人の手本となる人物、と命じられていたため、荀攸を尊敬し、病気になった時には見舞いに訪れ、荀攸の寝台の下で拝礼するなど、特別に尊ばれていました。

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