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夏候覇が蜀に亡命した原因は?父親や兄弟は誰?

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夏候覇ってどんな人?夏侯淵の息子で父と同じく武勇に優れた勇将

夏候覇かこうは、字は仲権ちゅうけん

曹操そうそうと共に魏の草創期を支えた夏侯淵かこうえんの息子であり、夏侯一族の中でも武勇に優れた勇将です。「夏侯」と名前があれば間違いなくの将だと思ってしまいますが、夏侯覇はしょく姜維きょういとのコンビで共に活躍する姿の方が有名ではないでしょうか。

確かに最初は魏で活躍していましたが、後に魏で起きた事件がきっかけで、蜀へ亡命することになります。その経緯を説明していきたいと思います。

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夏候覇の親族は?父親や兄弟は誰?


父親は超有名な曹操配下の武将、夏侯淵です。演技では長男なのですが、正史では次男とされています。夏侯淵の正妻は曹操夫人の妹であり、旗上げ当初から曹操に従い、いくつもの死線を共に乗り越えてきました。夏侯惇かこうとんも含めて、夏侯一族は曹操の親族でもあり、とても信頼が厚いです。

兄弟はたくさんいますが、夏侯衡かこうしょう夏侯栄かこうえい夏侯威かこうい夏侯恵かこうけい夏侯和かこうかがそこそこ名を聞く人達でしょうか。

夏侯衡は長子として夏侯淵の家督を継ぐ者、ここが演技と正史の異なる点です。

夏侯栄は父の夏侯淵と共に劉備りゅうびとの漢中かんちゅうを巡る戦いで命を落としています。父が定軍山ていぐんざんの戦いで劉備配下の黄忠こうちゅうに討たれ、その報告を受け、退却を勧められるも、「父や兄弟達が戦っているのにどうして自分だけ逃げるのか」と言い劉備軍に突撃し、戦死したといわれています。父と弟を同時に討たれた夏侯覇は、蜀への復讐を誓っています。

夏侯威、夏侯恵、夏侯和は夏侯覇と共に司馬懿配下の武将として活躍し、蜀の諸葛亮しょかつりょう北伐ほくばつを防ぐ任務に就いています。

そして夏侯覇の娘は司馬炎しばえん配下の名将、羊祜ようこの妻となっています。

このように魏では重要なポジションを占めていますが、実は蜀にもその血脈は流れているのです。

張飛ちょうひの妻である、夏侯月姫かこうげっきは夏侯覇の姪なのです。張飛は新野しんやで曹操の進撃を受け、南へ落ち延びていく時に、殿しんがりを務めて追っ手を返り討ちにしていましたが、その中に夏侯覇の姿があったといいます。それを知った張飛は、妻とほぼ同じ歳で、共に親しく育ったことを聞いていたので、打ち取らずに大喝して、夏侯覇を落馬させたといいます。張飛の名場面、長坂波ちょうはんは仁王立ちですね。

しかし、これに関しては同姓同名の別人であるという説、夏侯傑かこうけつという別人に変えられていることもあります。

張飛と夏侯月姫の間には張苞ちょうほう張紹ちょうしょう、さらに二人の娘を授かっています。そしてその二人の娘がともに蜀の皇帝である劉禅りゅうぜんに嫁いで皇后となっているのです。夏侯氏の血は蜀の皇后にまで流れていたことになるのです。

蜀に対する恨み

尊敬していた父、そして弟共に討たれたことで、夏侯覇は蜀を深く恨み、父と弟の無念を晴らそうと考えていました。やがて蜀の諸葛亮は、魏に何度も攻め込んでくるようになります、それがいわゆる北伐です。

魏は揚州ようしゅう合肥がっぴと戦い、雍州ようしゅう涼州りょうしゅうで蜀と対峙せねばならなくなり、同時に二つの戦線を抱えます。そのため戦力を分散させられ、受身であった魏ですが、合肥に新城を築き、蜀に逆襲を仕掛けます。

曹真そうしんを大将軍として、あらゆるルートから漢中かんちゅうに攻め込むのですが、この時夏侯覇は曹真に従い、先鋒として出陣していいます。

しかし蜀軍に包囲されて絶命のピンチに陥りますが、討ち取られる寸前で援軍に救出され一命をとりとめます。魏軍本隊も大雨が一ヶ月ほど続いたため、撤退を余儀なくされています。親兄弟の仇を討てると意気込んでいた夏侯覇としては無念だったことでしょう。

武勇に秀でた夏侯覇は、後に右将軍、転じて征蜀護軍に昇進しています。

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司馬懿のクーデターにより蜀へ亡命


曹叡そうえいの死後、司馬懿しばい曹爽そうそうが権力をめぐって争います。

当時、魏で最も権力を持っていたのは曹真の息子である曹爽でした。政敵である司馬懿を追い落とし、曹爽は隆盛を極めますが、曹操に虎狼の相と称された司馬懿がクーデターを起こし、高平陵こうへんりょうの変で、曹爽や何晏かあんといった王族が司馬懿に政治の実権を奪われ、殺害されてしまいます。

曹爽に関係のあった一族郎党は殺され、従兄弟であった夏侯玄かこうげんが征西将軍から退けられ、朝廷に召喚されます。夏侯玄は夏侯覇の従子(夏侯淵の甥)の続柄で、蜀軍と魏軍の国境司令官でした。

その代わりに征西将軍の座には仲が悪く、反りの合わない郭淮かくわいが就任すると、「これは夏侯玄同様に、私に難癖をつけて排除し、最後には殺す布石ではないか?」 と夏侯覇は司馬懿を疑い、従子の夏侯玄にも手紙を書いて蜀への亡命を勧めます。

夏侯玄は、これを受けなかったので、手紙の内容が司馬懿に露見する事を恐れた夏侯覇は間もなく蜀に亡命しました。

夏侯玄は夏侯覇の推測通り、次第に追い詰められ、後に李豊りほうの司馬師暗殺計画に連座して処刑されます。

曹氏、夏侯氏はこうして没落し、代わって司馬氏が力をつけていくことになるのです。

しかし、いくら身の危険を感じたとはいえ、恨んでいた蜀に亡命するというのは随分と大胆です。子供たちを魏に残しての亡命であるので、かなり突発的だったと思われます。夏侯覇の子供たちは夏侯淵の子孫であるということで処刑されることはなく、北の果てである楽浪郡(らくろうぐん)への流刑で済んでいます。

一方で夏侯覇の弟である夏侯威は司馬氏に協力し、婚姻関係を結び、その子孫はしんの時代でも外戚として栄えています。夏侯覇の蜀亡命には個人的な理由が強く係わっていたと思われます。曹爽と夏侯覇がそれだけ親しい関係だったのでしょう。

蜀での活躍

この時の蜀は、既に諸葛亮も没しており、当時の北伐の司令官は姜維でした。姜維もまた魏から投降した者です。とは言ってもその才能に「絶対自分の後継者はこいつしかいない!」とベタ惚れした諸葛亮が、蜀へ投降するしか手段がないように追い込んだのですが…。

このあたりも何かしら関係があったのかもしれませんが、それよりも夏侯氏の血筋にあたる張飛と夏侯月姫の娘が、劉禅の妻、皇后となっていることが大きかったと思われます。劉禅は夏侯覇を成都まで呼び、夏侯淵を殺したのは劉備自身ではないということ、蜀に夏侯氏の血を受け継ぐ者が存在することを伝えたそうです。

恐らく、夏侯覇は征蜀護軍として蜀に対峙する間に、情報として、劉禅の妃が夏侯氏である事を知っていたのだと思われます。だから、自分が亡命しても蜀は丁重に扱いこそすれ、よもや、殺すような事はあるまいと、夏侯覇は密かに考えていたのだと思われます。

その目論見は外れず、また敵将を優遇して投降者を出やすくする為に蜀は夏侯覇の亡命を歓迎し、車騎将軍に任じています。

しかし、亡命先の蜀も驚いたのではないでしょうか。魏の右将軍が突如、投降してくるのです。かなりの重鎮です。しかもその父親を蜀は戦場で討っています。なかなか信じられないような出来事ですね。

夏侯覇は姜維と共に魏を攻め、254年には王経を倒して数万の被害を与えました。姜維と夏侯覇のコンビは三国志演義でも有名です。そしてその名コンビで北伐に幾度となく参加しますが、八度目の戦いで空城の計にかかり戦死したと言われています。ですが、それは演技での話であり、実際の所ははっきりしておりません。

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