張飛、字は益徳(演技では翼徳)。
劉備、関羽と義兄弟の契りを結び、いろんな場面で大活躍した超メジャーな武将ですね。劉備が主人公のような演技では、メインキャラクターのようなものです。
関羽に武勇なら自分よりも強いと言わせる程の武力を持ち、一騎当千どころか、1万人に匹敵すると言われる生粋の戦士。子供のように純粋で、短期で直情的だったとされる性格、それが愛くるしい面もあれば、酒での失敗や部下への罰則が厳しすぎるという一面もあります。
そんな張飛について説明していきたいと思います。
目次
有名な名場面長坂の戦い
張飛の最大の見せ場といえば、この長坂の戦いでの長坂橋の仁王立ちではないでしょうか。
劉表が死去し、後継者争いで揉めていた荊州に曹操は50万の大軍を擁して軍を進め、蔡瑁の暗躍によって荊州を手に入れます。劉表の客将として樊城に駐屯していた劉備一行、このことで立場を著しく不利にし、それまで味方であった荊州兵も曹操軍に吸収され、劉備に牙を剥く事になりました。
そして曹操の50万の軍は10万ずつの5つの軍団、率いる将も曹仁、張遼、夏侯惇など猛者ばかりです。孔明も策を張り巡らし、反撃して一番手の曹仁達を蹴散らしますが、その程度ではビクともせず、江陵に退却することにしました。
しかし、退却する劉備軍に異変が起こります。なんと新野の領民、10万人が劉備を慕い、軍勢についてきたのです。馬に乗っているわけでもなく、女性、子供、老人も混じっており、これら領民を加えていては軍の退却は進みません。孔明は領民を置いていくべきだと劉備に進言しますが、劉備はそれに対し首を横に振ります。
劉備
諸葛亮
と孔明は思いましたが、それは口には出しませんでした。
諸葛亮
そういう劉備の人徳だからこそ多くの人に慕われ、孔明自身も慕い、今まで乱世を生き残ってこれた事が分かっていたからです。
逃げる劉備、追う曹操
そして長坂で曹操軍に追いつかれる劉備軍、あっという間に蹴散らされ壊滅、50万と言う海のような曹操軍に呑み込まれてしまいます。この時、趙雲が阿斗を縻夫人から預かり、単騎で敵軍の中を駆け抜けるのです。そこで長坂橋と呼ばれる橋の中腹で、時間稼ぎの為にたった一騎で立ったのが張飛。
「張将軍、後は任せた!」といい駆けこんでいく趙雲。
「任せとけ、死んでも曹操のヤツは通さねぇ…」
やがて曹操軍の騎兵が長坂橋に殺到すると、張飛は鼓膜が破れるような大声で怒鳴りつけました。
「我こそは張翼徳!死にたいヤツはかかってこい!」
そのあまりの気合いの凄まじさに馬も兵も怯えてしまい、身動き一つできません。プレッシャーに耐え切れなくなった夏侯傑は失神し、落馬して命を落としてしまった程です。ようやく勇気を振り絞って飛び出した騎兵も、張飛の蛇矛で一刀両断されてしまいました。
こうして張飛が時間を稼いでいる間に、劉備軍は江夏を守っている劉琦の下に退却する事になります。
余談ですが、計略ずくで劉琦を見捨てようとしていた孔明、この時に劉備の情がもたらす強運が、理屈だけでは計れないことを思い知ったのかもしれません。
「情けは人のためならず、巡り巡って自分のために…」
実は知将だった?バカで短気で大酒飲みなだけではない!
張飛のイメージといえば、いわゆる脳筋で、武力は凄いけど、知力はなし。短気で粗暴な大酒飲みで、酒の失敗が多いヤツ、というイメージではないでしょうか。しかし、それは演技だけでのイメージであり、張飛も演技の被害者の一人と言えます。
演技では聖人君子として描かれた劉備の影響で、なんと本来は劉備が行ったはずの粗暴な振る舞いがすべて張飛のせいにされていることが多いのです。
正史でも部下に苛烈に厳しかったと乱暴者を強調する記述はありますが、酒乱で失敗したなどというエピソードはなく、自分より知識があると認めた人物には進んで敬意を払うなど、常識的な人間であると特に説明されています。
漢中攻略戦
そして一番有名なのは漢中攻略戦で張郃を破った時でしょう。軍勢の多い張郃を山の狭い間道に誘いこみ、細長い山道で軍を展開できなくしたところで補給線を分断し、軍を壊滅させているのです。
また、張飛はそれ以前の劉備の入蜀の時にも一度も敗北せず連戦連勝しており、劉備はその功績を孔明、法正、関羽と同等であると認め、金五百斤・銀千斤・五千万両・綿千匹の褒賞を与えた上に張飛を巴西太守に任じました。
そして漢中王になった劉備は張飛を右将軍、仮節とし、さらに西暦221年に張飛を車騎将軍、西郷侯に封じていますが、同時に司隸校尉を兼務させているのです。この司隸校尉は朝廷内の大臣を皇族を含めて監視する役割に加え、帝都である成都周辺の治安維持を任される重要なポストでした。今で言えば警視総監みたいなものでしょうか?
この時、蜀には関羽を除けば主だった将軍は健在で、いくら張飛が外戚とはいえ、脳筋馬鹿に帝都の治安を任せはしないでしょう。張飛は司隸校尉以前にも、巴蜀の防衛の要である漢中太守に成るのが当然だと周囲に思われていました。この時は劉備が魏延を抜擢した事で流れましたが、太守を任して問題ないと思われる程に張飛の手腕は信頼されたのです。
酒癖が悪く超短気!お酒での失態について
張飛は酒癖が悪いため、酒を飲むとすぐに厄介ごとを運び込みます。そのせいで尻拭いをさせられるのはいつも劉備や関羽でした。酒の席ばかりは、張飛の力の強さはあだとなり、他人に対してけがをさせてしまったり、部下を鞭で打ったりしていました。さらには酒を薦めてそれを断る部下がいようものならブチ切れるという有り様。今の時代だったら完璧パワハラで訴えられているレベルです。
そんな張飛が改心しなかった理由の一つに劉備の甘さがあったのではないでしょうか。張飛に対しては鬼になれず、ついつい許してしまった結果が、彼の短気を助長したのではないかと思います。
そして酒での大失態は、呂布に城を奪われるということです。しかも劉備や関羽の留守を預かるため、「禁酒の命」を受けていたにもかかわらず、です。はっきり言って斬首刑ものの大失態ですが、なんとお咎めなしという結果に落ち着きました。
「責任とって自害する」という張飛に対し劉備は、
「兄弟は手足の如く妻子は衣服の如し(妻子はいつでも変えられるが、兄弟は失ったら二度と戻らない)」
といって引き留めたのです。感動した張飛は「生涯禁酒」、「部下につらく当たらない」と改心するのでした。
…となるわけがありませんね、そんな兆しは全くもって見せません。ここまで来るとどことなく愛嬌があると思えるようになりませんでしょうか?ただ、現代社会に置きかえると、こんな人物とは一緒に働きたくないですが…。
最期は部下に裏切られ…
張飛は自分の部下である范彊と張達に殺されてしまうというあっけない最期を迎えてしまいます。
二人は「三日以内に白装束を用意しろ」という無茶ぶりをされ、酒に酔っていたところで延期を要求したのですから、張飛の怒りは最高潮に達してしまいます。二人は暴行を受けた上に「間に合わせることができなかったら斬る」と脅されてしまいました。追い詰められた二人は殺されるのはごめんだ、と逆に張飛の首をはねてしまうのです。まさに身から出た錆といえるでしょう。
ちなみに劉備は張飛が亡くなった際に「ああ、張飛は死んだか」と口にしたと言われています。関羽が亡くなった際には怒りのあまり全軍を呉に向ける勢いだったにもかかわらず、張飛が死んだときは結構落ち着いているようにも感じられます。それはもしかしたら「こういうことがいずれあるかもしれない」と心の中で思っていたからかもしれません。
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