関羽ってどんな人なの?強いけど実は傲慢な人?

関羽ってどんな人?義を重んじ武に長けた稀代の英雄だけど実はメンドクサイ性格?

関羽かんう、字は雲長うんちょう

劉備りゅうびの義弟にして、五虎大将軍の筆頭。言わずと知れた三国志屈指の人気キャラであり、見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため、孔明こうめいこと諸葛亮しょかつりょうからは「ひげ」殿と呼ばれ、帝に「美髯公びぜんこう」と賞賛されています。

今や神様になり、アジア世界ではもっともメジャーと言ってもいい存在でしょう。もちろん、生前も一騎当千の強さで、しかも曲がった事が許せない義に厚い名将として多くの尊敬を集めています。

関羽

やっぱりワシって人気者やな!!

しかし、その一方で「?」という部分が多い事も事実です。特に、プライドの高さは天下一と言ってよく、その性格から多くの面倒な事を引き起こしています。

そんな関羽の長所と短所、両面を探っていきたいと思います。

神格化され数多くの民衆に信奉される義将


関聖帝君かんせいていくん」と言う名で道教の神となっており、彼を祀った廟は「関帝廟かんていびょう」と呼ばれています。

主君であり義兄弟の劉備に忠節を尽くしたことから、「義絶(この上なく義を重んずる人物)」とも呼ばれており、そのことから商売の神として祭られました。三国志に興味のない若い方でも神としての関羽を信仰していたり、お店や事務所、時として自宅の一角に関帝の御札や小さな関羽像が祀られていることが少なくないようです。

しかし、商売の神として崇められるようになったのは、関羽信仰が始まってからからずいぶんと後になってからの話。当初は軍神として祀られていました。

関羽

ワシって未来では商売の神様なの?軍神じゃなくて?

一騎当千な武だけではなく文の面でも優秀

武については語るまでもなく、一騎当千の力を持ち、演技では青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうを手に赤兎馬せきとばを駆る姿はまさに軍神です。

その一方で学問を好み、「春秋左氏伝しゅんじゅうさじでん」をほぼ暗誦することができ、文武両道の面を持っていました。また敵方でありながら張遼ちょうりょう徐晃じょこうとは親交があり、彼らとは互いに尊敬しあっていました。

曹操そうそうだけでなく各国の幕僚達から最も評価、警戒されていた将が関羽でした。曹操や孫権そんけんをして、共同作戦なしには関羽を正面から破ることはかないませんでした。これは215年に魯粛ろしゅく呂蒙りょもう荊州けいしゅうを攻めた際、徹底的に関羽本隊との衝突を避けた(甘寧かんねいら遊軍を水際に配置して牽制した)ことからも推測できます。

219年に関羽が周辺の賊や異民族などを煽動しつつ北進した際には、関羽に呼応した叛乱も相次ぎ、間近に迫った関羽による許昌きょしょう陥落を警戒した曹操が遷都すら考えた程です。

関羽は方面司令官として約8年に渡って荊州を治めましたが、呂蒙は関羽の荊州統治について「威信と恩徳がよく行き渡っており、正面から太刀打ちするのは容易ではない」と評価しています。

関羽

やっぱ、ワシってば職随一の将軍じゃの!

天下一と言っていい程高すぎるプライド

このように関羽は名将として多くの尊敬の念を集めていますが、そのプライドの高さから多くの面倒なことを引き起こしています。

まずは馬超ばちょうに関して、馬超が西涼せいりょうから劉備を頼って帰順した時のこと。馬超は錦の馬超として曹操さえも追い詰めたとして、世間の評判が高い人物でした。当時、荊州を任されていた関羽はそんな馬超の噂を聞き、ソワソワしてきます。そして孔明に手紙を出して、いろいろと馬超のことを詮索するのでした。

関羽

錦馬超が我が軍に加わったようでめでたい事ですが、軍師殿から見てワシと馬超、どっちが上?

典型的なプライドの高さですね、そんな関羽の高いプライドを知り尽くしている孔明は、

馬超は張飛ちょうひと並ぶような猛将ですが、もちろんヒゲ殿の武勇には及びませぬよ

諸葛亮

と関羽を精一杯、持ち上げています。この手紙で満足した関羽は、なんとその手紙を部下たちに見せびらかし、

関羽

見よ、錦馬超は名将のようだが、ワシには及ばないそうだ

とご満悦だったとか。

黄忠にも敵意むき出しの関羽

そして黄忠こうちゅうに関して、漢中王になった劉備は人事を刷新し、前将軍と後将軍の位をそれぞれ関羽と黄忠に授けます。しかし関羽のことをよーく知る孔明、劉備にこの人事に待ったをかけました。

「張飛や馬超は、黄忠の武勇を目で見ていますから不満はありますまい。しかし、関羽は荊州にあり黄忠の活躍を知りません、必ず不服を言いましょう」

関羽と黄忠の一騎打ちは演技の創作であり、実はこの2人にはこの時点で接点はありません。ですが劉備は自分が説得するから大丈夫だと、黄忠に後将軍、関内侯の爵位を授けました。

案の定、孔明の予感は的中、自分と同ランクの後将軍に黄忠が任命されたと知った関羽は烈火の如く怒るのでした。

関羽

黄忠のような新参の老いぼれとワシが同格というのは納得がいかん!前将軍の地位なんか絶対に受けぬ!

と怒りを爆発させて、任官を拒否してしまいます。慌てた劉備、メンドクセェ…、と思ったかどうかはさておき、費詩ひしを遣わして、関羽を説得にかかります。

費詩

あなたも頑固な人ですね…、昔、漢の高祖は古い友人の曹参そうさん䔥何しょうかを差し置いて、よそ者の韓信かんしんを大将軍に任命しましたが、それで曹参や䔥何が不服を言いましたか「

二人は、地位と信頼の深さは別のものだと知っていたから不満を持たなかったのです。そもそも、何十年も一緒だったあなたに対する漢中王の信頼が、新参者の黄忠と同じではない事位は、あなたにだって分かる筈です。つまらない官位の上下に拘り、主君を困らせるのは不忠というものですよ」

費詩もメンドクセェ…、と思いながら説得したかどうかはわかりませんが、この言葉に関羽は自分の視野が狭かったことを認めはしたものの、それでも渋々と前将軍を拝命することを認めました。

きっと心の奥底では納得していなかったのでしょう…。

身を滅ぼした傲慢な態度


関羽の性格を簡単に表すと、

・民草や部下には優しい
・同列の将軍や文官には傲慢な態度をとる

民草や部下に優しいのはもちろんいいことなのですが、同僚に傲慢なのは大問題、致命的です。前述した馬超、黄忠の件はまさにこれでしょう。要するに見栄っ張りであり、部下には外面がよく、同僚には評判が最悪というタイプですね。現在でも学校や会社にこういう人は1人くらいいるのではないでしょうか。

これは関羽が庶民から成りあがったことに関係しています。能力が高かった関羽ですが、世間の偏見は厚く、士大夫は彼を同列に用いようとはしませんでした。そこで関羽は、特に自身と同格か上の身分の人間には対応が厳しく配下の人間には優しいという性格を持つようになります。同じように庶民だった張飛が、逆に上流の人間に憧れて従順になり、部下を見下して厳しかったのは対照的ですね。

このことが結局自分の死因にも絡んできてしまいます。関羽は最終的に呉の馬忠ばちゅうに捕らえられ、臨沮りんしょうで処刑されますが、その遠因はこの性格にあったともいえるのではないでしょうか。

まずは孫権から提案された孫権の息子と自身の娘の婚姻話を本国に報告せず、独断で一方的に断った上、使者を面罵し孫権の顔を潰しています。この高すぎるプライドが元で起こったことが、荊州急襲の遠因とも言えるかもしれません。

そして呂蒙の策により関羽の周囲の人間は次々と離れていきますが、同列の将軍や文官を格下扱いし、見下していたため、この機に次々と見限られてしまいました。それが帰る場所を失い、麦城ばくじょうに篭城することになります。

陳寿ちんじゅも度を越した剛毅さが死の遠因だったと評しています。

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