曹操は出自に劣等感を抱いていた?父・曹嵩は何者だったのか?

現代では血筋というのはあまり重要視されなくなってきています。

今でも血筋が重要なのは政治家ぐらいのもので、出自によって職業が制限されているわけではありません。

 

 

しかし、三国志を含む古代中国では血筋というのは最も重要といっていいぐらい大事なものでした。

劉備りゅうびかん室の末裔まつえいという大義名分がなければしょくを建国できなかったでしょうし、孫権そんけんも古の大軍師・孫武そんぶ末裔まつえいということになっています。

 

 

その中で、三国志の主役で国の礎を一代で築いた曹操そうそうはその出自がはっきりとされていません。

曹操そうそうは時の皇帝(曹丕そうひ)の父という立場でありながら、出自に関してはあまり記されていません。

 

 

むしろわざと出自を隠しているような感じさえします。

今回は曹操そうそうの出自の秘密と祖父・曹騰そうとうと父・曹嵩そうすうについて解説していきます。

正史でみる曹操の出自


一般的に曹操そうそうが名家の出身であると考えている人はおそらくいないでしょう。

曹操そうそうのライバルだった袁紹えんしょうかん王朝の最重要ポスト三公さんこう(太尉・司徒しと司空しくう)を多く輩出しており、誰もが知る名家でした。

 

 

劉備りゅうびもかなり怪しいながらも皇族の血を引き皇淑こうしゅく(皇帝の叔父おじ)として血縁の良さが目立ちます。

曹操そうそうかん王朝創設の功臣・曹参そうしんを祖先に持つといっても祖父である曹騰そうとう宦官かんがんでした。

 

 

宦官かんがんは皇帝のすぐそばにつかえる立場でありながら、権威は低くとても名家と呼ばれるようなものではありません。

正史せいし三国志では曹操そうそうの出自ははっきりとわからないとかなり濁した書き方をしているのも、曹操そうそうの出自があまり立派なものではなかったからでしょう。

 

 

宦官の頂点に君臨した祖父・曹騰


曹騰そうとう宦官かんがんになった理由ははっきりとわかっていませんが、少年時代だったようです。

この曹騰そうとうがまだ幼かった時期、当時皇太子だった順帝じゅんていと知り合い仲良くなっています。

 

 

その後はトントン拍子に宦官かんがんとして出世し中常侍ちゅうじょうじ大長秋だいちょうしゅうという宦官かんがんとして最高位を手に入れます。

宦官かんがんというと名誉欲が強く私利私欲を貪るイメージがありますが、曹騰そうとうは国家にとって必要な人材を積極的に引き立てていきます。

 

 

多くの宦官かんがんがワイロをもらって人を推挙していたのとは大違いですね。

長年、政治の中枢にいた曹騰そうとうは失脚することなくその生涯を終えたと思われます。

宦官は当時から評判が悪かった

宦官かんがんといえば悪者の代名詞のような扱いをされています。

後漢ごかん末期にも宦官かんがん十常侍じゅうじょうじが私腹を肥やし政治をめちゃくちゃにしています。

 

 

そして三国時代にもしょく宦官かんがんがおり、ここでもやはり政治を悪くしたとされています。

そして最悪の宦官かんがんとしてもっとも名が知れている人物、ちょう高の存在を忘れてはならないでしょう。

 

 

ちょう高は始皇帝しこうてい寵愛ちょうあいを受けた宦官かんがんであり、しん滅亡の直接の原因になった人物です。

始皇帝しこうてい亡き後のちょう高はそれはやりたい放題で、功臣・李斯をはじめ多くの役人を誅殺。

 

 

さらには始皇帝しこうていの遺書を書き換え勝手に胡亥こがいを皇帝にしており、歴史上でもまれな佞臣とされています。

このしんを滅ぼした張本人・ちょう高にイメージと中国の儒教じゅきょう的な価値観が合わさり宦官かんがん=悪のようなイメージが定着しています。

 

 

しかし、宦官かんがんの中にも曹騰そうとう史記しきの著者・司馬遷しばせんのように良い宦官かんがんがいたことも事実です。

それでも宦官かんがんの家出身とはとても名家といえるようなものではありませんでした。

曹嵩は何者なのか?


曹嵩そうすう曹操そうそうの父にして曹騰そうとうの養子です。

 

 

高位の宦官かんがんは養子をとることができたので、曹騰そうとう曹嵩そうすうを養子に迎えています。

 

また、曹嵩そうすう売官ばいかん(官位を金で買う)によって三公さんこうの一つ太尉となっていますが、政治的業績は上げていませんでした。

曹嵩は夏侯家の人間だったのか?

そしてこの曹嵩そうすうの出自が直接曹操そうそうの出自となるのですが、曹嵩そうすうの出自ははっきりとしていません。

一説には夏侯惇かこうとん夏侯淵かこうえんとおなじ夏侯家出身とされていますが、当時の中国では異姓不養という価値観があります。

 

 

この異姓不養は同姓の家のもの以外は養子にしてはならないというもので、夏侯家から曹家に養子に来るというのは当時の価値観としてあり得なかったわけです。

劉備りゅうびの養子になった劉封りゅうほう関羽かんうの養子になった関平かんぺいは同じ性を持っていますよね。

 

 

例外として董卓とうたくの養子になった呂布りょふは性が違います。
しかし、これはかん民族の価値観をあまり持っていない董卓とうたくであったため異姓不養を無視して、養子にしたのでしょう。

 

 

政治の中枢にいた曹騰そうとうが異姓不養を無視して養子にするのはやはり考えられません。

 

 

正史で曹操の出自が書かれなかった理由


あらためて、正史せいし三国志ではなぜ曹操そうそうの出自を書かなかったのでしょうか。

正確には書けなかったというのが正しいかと思います。

 

 

その理由としては曹嵩そうすうがもともと身分が低い家出身だったからではないでしょうか。

皇帝の血筋が低かったというと、かんから帝位を引き継ぐ正当性に欠けると思ったのかわざと出自を隠すようにしたと思われます。

 

そしてとってつけたようにかんの功臣・曹参そうしんを先祖だとして、すこしでも帝位につく正当性を出したのではないでしょうか。

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