【キングダム】王賁の史実での功績や最期は?背中の剣は何のため?

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名将めいしょう王翦おうせんを父に持ち日々鍛錬を重ねた槍術で格上と思われる相手を次々たおしてきた王賁おうほん

彼は史実しじつでも登場した武将で数々の武勲を挙げています。

しかも彼の子孫は400年後の三国時代に登場するほど名家としても知られています。

李信りしん蒙恬もうてんの子孫は三国時代には姿が見られないのでこれはとてもすごいことです。

王賁おうほんという人物は史実しじつでどのような功績を残したのでしょうか?

王賁とは

 
王賁おうほんはキングダムで登場するとおり、中国の戦国時代末期のしん国の将軍として活躍した人物です。

父はしん名将めいしょう王翦おうせんで子供の王離おうりかん戦争で項羽こううに敗れた将軍になります。

王賁おうほんは名家の出身であるとされていて王賁おうほん自身も領土を与えられ通武侯に封じられています。

しんの天下統一後は始皇帝しこうていの巡幸に息子・王離おうりや李斯とともに帯同しており信頼を得ていたことがわかります。

王賁の史実の功績

王賁おうほんが初めて史記しきに登場したのはちょうを攻略した後の燕攻略戦です。

この時は父の王翦おうせんと戦い都・けいを落とし燕王は遼東りょうとうという端っこの報に逃げていきましたがまだ滅んでいません。

次はです。王は城に閉じこもり籠城ろうじょう戦をしましたが、王賁おうほんは水攻めをして城を落としています。こうしては滅んでいきます。

翌年には遼東りょうとうまで逃げた燕とちょう王の兄が立てた代を滅ぼしています。

父・王翦おうせんを倒した後、王賁おうほんは戦後最後の列国となったせいを倒します。この時は李信りしん蒙恬もうてんと共に攻めており史実しじつ上では初めて三人が交わっています。

前226年 燕を攻め燕王は遼東りょうとうに逃亡
前225年 を水攻めで攻略
前222年 遼東りょうとうに逃げた燕と代を攻略
前221年 李信りしん蒙恬もうてんせいを攻略

史実しじつ王賁おうほんの戦績を見ていくと驚くべきことに負けてないんです。

李信りしん蒙恬もうてん攻略の時に項燕こうえん大敗たいはいしていますが、王賁おうほんは父・王翦おうせんと同じく負けなしの戦績で生涯を終えています。

王賁の史実での最後

 

王賁おうほんが最後に史実しじつに記載されたのは通武侯に封じられたところです。

史実しじつ王賁おうほんが死亡した所は記載されていないんです。

息子の王離おうりしんの滅亡直前に項羽こうう劉邦りゅうほうと戦った記録はありますが王賁おうほん自身はありません。

また、蒙恬もうてん宦官かんがんちょう高に謀殺されたと記録されますが、王賁おうほんに関して特に記録がないため病死したのではないかと思います。

蒙恬もうてんなんかは一族全て処罰しょばつされたので子孫が残っていませんが、王賁おうほんは残っていますからね。

王賁の背中の剣はなんのため?

 

王賁おうほんはいつも背中に剣を装備していますよね。

今まで使われたような描写もないし、王賁おうほんはいつも槍で戦っているから意味ないんじゃないかと思います。

あの剣は槍が折れたり刃こぼれしたときの非常用に装備しているものです。

背中に背負っているのは腰に装備してると槍で攻撃するときに邪魔になるからです。

それでも4本も背負っているのはデザイン的にそのほうが見栄えするからだと思いますが。

 


 

 

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