趙雲子龍とはどんな人なの?ゲームでは大人気だが実は影が薄い?

 趙雲ちょううんといえばみなさんどのようなイメージをお持ちでしょうか?おそらく、イケメンなのにめちゃくちゃ強くて、性格も真面目で……など、およそ欠点のない人物像が定着しているものと思います。確かに、ほとんどのゲームやアニメなどでは趙雲といえばイケメンなキャラですよね(横山光輝氏の作品では見た目がほとんどド〇ベンですけど……)。

 今回はそんなしょく随一の貴公子きこうしキャラである趙雲にスポットライトを当ててご紹介していきたいと思います。

趙雲の略歴

 元々は公孫瓚こうそんさんに仕えていた趙雲ですが、公孫瓚が袁紹えんしょうと争っていた際に公孫瓚側に援軍として参戦した劉備りゅうびと意気投合……したのですが、すぐに劉備の配下にはなりませんでした。

というのも、この時期に趙雲は兄を亡くしており、その兄の喪に服するために故郷に戻らなくてはならなかったのです。袁紹によって公孫瓚が倒されると、劉備はふたたび放浪の旅へ、趙雲は自身の故郷へと旅立ち、二人は離ればなれになってしまいます。

 時は流れ劉備が袁紹のもとに客将きゃくしょうとして身を寄せていたときに偶然、二人は再開し、固い主従の関係を結びました。

なんともドラマティックな再会ですね。そこから趙雲は劉備に付き従って、荊州けいしゅうから益州えきしゅう侵攻、さらに晩年には孔明こうめいによる北伐ほくばつにも参加して功を挙げました。

ただの一度も主君・劉備とその息子劉禅りゅうぜんを裏切ることなく、生涯をしょくのために粉骨砕身ふんこつさいしんしたのです。

趙雲ってどんな人?

 
 趙雲の強さ、忠誠心の高さ、女性や子どもへの優しさ、彼の人柄のすべてを表すのが長坂ちょうはんの戦いでのエピソードではないでしょうか。

 趙雲の生涯のハイライトといえば、長坂の戦いにおいて劉備の子【阿斗あと(後の劉禅)】を救出した場面でしょう。

曹操そうそうの騎兵5000ともいわれる大軍に攻撃され、たまらず退却することとなった劉備でしたが、その際妻子とはぐれてしまいました。その劉備の妻子を救うために危険を顧みずに大軍の中に単騎で飛び込んで劉備の妻を救出し、幼い阿斗を抱きかかえて押し寄せる大軍を蹴散らしながら見事脱出に成功するのです。

 この戦での趙雲は、武将としての強さのみならず、大軍相手にも物怖じしない彼の強靭な胆力や、主君に対する厚い忠誠心、女性や子どもへの優しさを遺憾なく発揮しているようでそれはもう人気が出るのも頷けますね。

 この活躍は正史にも書かれているため、ここから垣間見られる彼の人物像は虚飾きょしょくのないもの、と考えて間違いなさそうです。

趙雲って強かったの?

 
 趙雲の活躍ぶりについての記述ですが、演義えんぎと正史ではだいぶ異なります。

演義での趙雲

 演義での趙雲はまさに関羽張飛と並び立つほどの劉備軍のエースです。二人に勝るとも劣らない、圧倒的な武力で戦場を駆けまわります。実は作中においては関羽や張飛よりも一騎打ちで勝利を飾っているのです。

晩年に姜維との一騎打ちにおいて敗北するまで、30戦以上をすべて引き分け以上! 特に孔明こうめいは趙雲に絶大な信頼を寄せていたようで、ほとんどの戦で彼を先鋒として出陣させています。

 文句なしに主人公格の一人であり、最強クラスに強いと言えるでしょう。

正史での趙雲

正史での趙雲は演義ほどの活躍は見せてはいません。というのも、趙雲は劉備が生きている間は近衛このえ隊長のような役割であり、主な仕事と言えば劉備のボディ―ガードでした。関羽や張飛はすでに将軍として一軍を率いていたのとはだいぶ差がありますね。

 劉備の存命中の主な活躍といえば、先に挙げた長坂の戦いでの単騎による救出劇と、益州侵攻の際に少し手柄を挙げたくらいでした。

 ただし劉備の死後は出世を果たし、将軍として一軍を率いるようになりますので、趙雲が将軍として活躍をするのは関羽や張飛たちがいなくなった後なのです。孔明が軍師として八面六臂はちめんろっぴの活躍をするのも同じく劉備の死後になりますので、演義での孔明が趙雲に特別信頼を寄せていたというのは、こういうところから来ているのかもしれませんね。

 どうでしょうか? 軍の総大将である劉備のボディーガードを務めていたくらいですから、決して弱いとは言えませんが……関羽や張飛と比べると実績面で明らかに物足りないところはあります。

五虎大将軍のひとりだが……

 関羽かんう張飛ちょうひ馬超ばちょう黄忠こうちゅう、そして趙雲を加えた5人は蜀の発展において特別な活躍をしたということで後世の人たちから【五虎ごこ大将軍】と呼ばれています。

 関羽たち4人はそれぞれ正史においても華々しい活躍をしていることに比べると、趙雲の活躍度合いはだいぶ低いと言えます。実際にこの五人全員が生きていた頃の位を見比べてみると、趙雲だけが群を抜いて低いのです。

序列が高い順に関羽が前将軍、張飛が右将軍、馬超が左将軍、黄忠が後将軍なのに対して趙雲は翊軍将軍というワンランク以上下の位でした。実はコレ、同じ時期に蜀に在籍してい魏延ぎえんよりも位は下だったのです。

 それでも他の4人に比肩ひけんしうる存在として今日の趙雲が存在しているのは、どうしてなのでしょう? ここは戦績以外にも目を向けてみる必要があると思います。

趙雲ってどんな性格だったの?

  正史での戦績ではパッとしない趙雲はなぜ、ここまで後世の人たちに愛される存在になったのか。それはやはり彼の人柄によるところが大きいと思います。

性格の良さは五虎大将軍随一?

 五虎大将軍の他の4人は性格的にかなり難のある人物です。

 関羽と張飛は劉備と義兄弟の契りを結んでおり、主君に対して趙雲以上の忠誠心をもっています。しかし関羽は部下たちには優しかったようですが、自分と対等あるいは格上の相手には傲慢ごうまんでしたし、張飛は身分が上の者にはへりくだっていましたが、自分の部下には容赦ようしゃがなかったようです。二人ともその性格が災いして命を落としました。

 馬超は劉備に対して忠義心があるかと言われればそうでもないように見えます。韓遂かんすいとともに曹操と戦っていた頃はとても勇敢に荒々しく戦っていたのに蜀に降ってからはまったく牙の抜けた狼のように大人しくしていましたからね。

黄忠も武勇は素晴らしいですが、関羽に負けず劣らずプライドが高いといいますか、血気盛んな面が多く見られます。

 趙雲の性格はどうでしょう? 欠点らしい欠点が見当たりません。関羽や張飛のようにおごることもなければ、馬超のように無気力なわけでもなく、黄忠のように血気盛んな面も見せる描写はありません。

あくまで私の憶測に過ぎませんが、趙雲は私欲がまるでなく、そして実直な人物だったのではないでしょうか。そうでなければ魏延や黄忠といった自分よりも後に劉備に従った者たちに出世レースで負けているにも関わらず、劉備が没するまで近衛隊長をただ黙々と務め続けることは不可能だったのではないかと思うのです。

色仕掛けにも屈しない、硬派な男・趙雲

 趙雲はとても硬派な男なのです。それを裏付けるエピソードを一つご紹介します。

 それは劉備が荊州けいしゅう平定をしている最中のこと、桂陽けいよう太守の趙範ちょうはんという武将が降伏してきた際に、「私の亡き兄の嫁を趙雲殿にもらっていただきたい」と縁組を申し出てきたそうです

その女性はとても美しいと評判の女性でした。
しかし趙雲はこれを「お断りします。趙範は殿に追い詰められて致し方なく下っただけでしょうから、信用できません。それに女性なら天下にごまんといるでしょうから」と言って拒否したと言います。

 この趙雲の予想は的中し、趙範はほどなく曹操の下に降ったのでした。女性の色香にも惑わされることなく、ひたすら主君・劉備のために行動できる人だったのですね。

まとめ

 いかがでしたでしょうか? 趙雲は演義の中では関羽・張飛に並ぶ最強の武将の一人ですが、正史での姿はド派手な活躍をした二人に比べて地味なものです。しかし私欲に流されることなく、長年に渡って劉備にそしてその息子・劉禅に忠を尽くすその姿はゲームやアニメでよく見る趙雲の姿そのものではないでしょうか。

とくに長坂の戦いでの活躍が後世の人たちの琴線に触れ、今日のスーパーヒーローのような趙雲像を作り上げたといえるでしょう。真面目で優しくて、すごく強い上にイケメン……これだけ完璧に描かれるだけの魅力がある人なのは疑いようがありません。

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