袁術の配下にはどんな人たちがいたの?

袁術えんじゅつは字を公路こうろといいます。父は司空しくう(三公さんこうというものの一つだそうで、すごい偉ーい官職かんしょくのようです。)の袁逢えんぽうです。袁術えんじゅつ袁紹えんしょう従弟いとこにあたります。

エリートで、わしの家は4代続いて三公さんこうまで昇進してるしとドヤ顔です。

そんな袁術えんじゅつですが最期は、バトルで負けが続いて、頼れるところを探してあちこちフラフラします。その途中、蜂蜜はちみつ入りの飲み物をねだりますが、ありつけず嘆いた後に一斗いっと(約18リットル)強の血を吐いて死にました。

「演義」っぽいエピソードですが、「正史せいし」に「書」に記載有りとして載ってまーす。
一体こんなおっちゃんの配下にはどんな人達がいたのでしょうか。(無理やり!)

こんな人たちが-孫堅・孫策の場合-


えっ⁉孫堅そんけん孫策そんさくってのリーダーじゃないの?と思った人もいると思います。そうですよ。そうなんですけどね。タイトルをよく見てください。「配下」ってなっているんですよ。配下って。臣下とは違うんですよ。

董卓とうたくがやりたい放題暴れまくってた頃、袁術えんじゅつの方が孫堅そんけんよりも位が上で、孫堅そんけんを指揮命令する立場にありました。孫策そんさくに至っては袁術えんじゅつに面と向かって泣きながら、配下においてくださいと頼んでいました。なので配下というわけです。

しかし、孫堅そんけんはあっけなく命を落としてしまいます。孫策そんさくの方は、袁術えんじゅつが勝手に皇帝を名乗るようになったので、長ったらしい非難する手紙を送って絶交したのでした。

こんな人たちも!?-周瑜・魯粛-


えっ⁉チョッ…何コレ?というような声が聞こえてきそうですが、短期間であっても配下にいたら配下です。ハイ。

周瑜しゅうゆは、孫策そんさくの配下だったのですが、袁術えんじゅつが自分の配下につけようとしました。しかし周瑜しゅうゆは、袁術えんじゅつが結局は失敗するだろうと見切っていました。なので地方に勤めることを希望しました。袁術えんじゅつが承諾したので、一旦地方に赴任してからに戻りました。

魯粛ろしゅくの場合はこうです。周瑜しゅうゆが地方に赴任した時に、魯粛ろしゅくに挨拶に行って資金と食糧の援助を頼みました。魯粛ろしゅくは気前よく与えて、二人は仲良くなりました。

袁術えんじゅつ魯粛ろしゅくの評判が良いのを聞いて、ある県の県長けんちょうに任命しました。ところが袁術えんじゅつのすることがムチャクチャなので、魯粛ろしゅくは、こりゃダメだと思って周瑜しゅうゆの所に行きます。そうしてそのまま周瑜しゅうゆについて行ったのでした。

袁術の配下としてはかなりまともな正論一筋の人-袁渙-


袁渙えんかんは字を曜卿ようけいといい、陳郡ちんぐん扶楽県ふがくけんの出身です。途中の経歴はすっ飛ばして…袁術えんじゅつに任用されることになりました。袁術えんじゅつ諮問しもんされるたびに、袁渙えんかんはいつも正論をぶちまけました。袁術えんじゅつは言い返せませんでしたが、袁渙えんかんをリスペクとしていました。

呂布りょふが攻撃してきた時に、袁渙えんかん袁術えんじゅつについて行きますが呂布りょふに捕まってしまいます。
ここで面白いエピソードがあります。

呂布りょふ袁渙えんかんに、劉備りゅうびの事をボロクソにけなす手紙を書かせようとします。袁渙えんかんは承知しません。怒った呂布りょふは書かなかったら殺すみたいなことを言います。

袁渙えんかんは顔色を変えることなく、私は以前は劉将軍に仕えていましたが、今は将軍に仕えています。もしここをサヨナラすることになったら、将軍のことをボロクソに言ってもいいってことですよねと返します。呂布りょふはきまりが悪くなってそれ以上何も言えませんでした。

袁渙えんかんは、呂布りょふが死んだ後は曹操そうそうに仕えました。ちなみにその後も正論を通していたみたいです。

最後にそっぽ向いた人たち-雷薄・陳蘭の場合-


袁術えんじゅつが皇帝を名乗った後、呂布りょふに叩きのめされ、曹操そうそうにもぶちのめされて雷薄らいはく陳蘭ちんらんのところに逃げていきますが、拒否られて受け入れてもらえませんでした。そうしてしばらくして袁術えんじゅつは亡くなくなったのでした。

その後は陳蘭ちんらんはゲリラ活動みたいなことをしますが、(注:雷薄らいはくのその後は不明です。)曹操そうそうの部下に殺されます。

最期まで仕えた人たち-悲惨な人たちの場合-


ここまで見てきたら、袁術えんじゅつってまともに仕えた部下とかいなかったの?というかんじですが、一応います。

袁術えんじゅつが皇帝を名乗って、チョロチョロしていたら、曹操そうそうはブチ切れたのか袁術えんじゅつをやっつけるために自ら出陣します。

袁術えんじゅつは、曹操そうそう自身が攻めに来たと聞くと、橋蕤きょうずい李豊りほう梁綱りょうこう楽就がくしゅうといった武将に任せて、自分はトットと逃げました。バトルが始まると曹操そうそう軍は橋蕤きょうずいたちの軍をコテンパンにやっつけて全滅させました。(注:袁術えんじゅつは逃げたので死んでいません。)

四将たちの犠牲により袁術えんじゅつは生き延びることができましたっていうか、袁術えんじゅつって奴はとんでもねえ野郎だ!

最期まで仕えた人たち-幸運な人の場合-


袁術えんじゅつの最期まで仕えた人たちもいます。楊弘ようこう張勲ちょうくんです。彼らは袁術えんじゅつの死後、部下を引き連れて孫策そんさくの所に行こうとしますが、盧江ろこう太守の劉勲りゅうくんに捕まってしまいます。

それを知った孫策そんさく劉勲りゅうくんに近づいていき、なんだかんだ上手いこと言って劉勲りゅうくんを出撃させます。そのすきに孫策そんさく盧江ろこうを攻めて占領せんりょうします。そのドサクサに張勲ちょうくんは直属の部下たちだけを連れて曹操そうそうの所に行きました。(注:楊弘ようこうのその後はわかりません。)

袁術えんじゅつの配下だった主な人たちを見てきましたが、袁術えんじゅつ愛想あいそをつかして離れていった人たちが目立ちます。

正史せいし」筆者の陳寿ちんじゅの人物レビューでも、袁術えんじゅつはとんでもなくぜいたくをして、多いに人の道を外れ、欲望のままに行動した。生涯栄華を保てなかったのは自業自得であるとしています。

さらに、「正史せいし」に注を付けた裴松之はいしょうしに至っては、袁術えんじゅつが慎み深い態度をとって、倹約を実行したとしても結局は滅亡したであろう。

なのに陳寿ちんじゅのレビューでは、「生涯栄華を保てなかったのは自業自得である」としか評していない。袁術えんじゅつの途方もない悪を表現するには不充分だとしています。

袁術えんじゅつという人はどれだけの人だったのかという気がします。

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