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袁術はなぜ孫策を手放した?玉璽の代わりに孫策が得たものは?

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袁術と孫策……と玉璽

 孫策は、父・孫堅の死後、袁術のもとに身を寄せていました。18歳の若さで袁術の配下に加わると、その天才的な戦の才能を発揮して袁術の下で戦果を挙げます。しかし、いくら戦場で活躍しても、孫策は袁術から厚遇されることはありませんでした。これを不満に思ったのか、それとも初めから天下への野心を抱いていたのか、孫策は機を見て袁術のもとを離れようとしていました。
 あるとき孫策は、揚州刺史の劉繇と対立していた叔父・呉景の援軍に向かうために兵を借りたいと袁術に願い出ます。袁術は「孫策がそのまま戻らない」という可能性を憂慮したのか、あるいは生来のケチな性格からか、兵を貸すことを渋ります。

 そのときに登場するキーアイテムこそが【玉璽】なのです。

 孫策はこのとき父の形見として玉璽を所持していたのですが、それを担保として袁術に差し出すことで、兵を借りることに成功。その後、袁術のもとから離れた孫策はやがて江東を平定し、大国・呉の礎を築いていくのです。

文官

この記事では、袁術が孫策を手放した理由や、玉璽について解説します。
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玉璽ってそもそも何なの?

 玉璽とはそもそも何なのでしょう?簡単にいえば、皇帝のハンコです。三国時代以前の【秦】の時代に作られたもので、それから歴代王朝・皇帝に代々受け継がれていたということですから、非常に由緒正しい皇帝の証・象徴だったわけです。

文官

玉璽を持つ者こそ皇帝であったということですね。

 三国演義では、孫策の父・孫堅が反董卓連合軍に参戦し、洛陽を占拠した際に、焼け野原となった洛陽の古井戸の底で玉璽を拾ったことになっています。孫堅の死後に、息子の孫策がその玉璽を形見として所持していたのです。

袁術はなぜ玉璽を欲したのか?


 正史においても、演義においても、袁術は非常に強欲な人物として描かれています。民に重い税を課し貧窮させる一方で、自らは贅沢のかぎりを尽くすという、ダメな指導者の鑑ともいえる存在ですね。玉璽はこの世に二つとない究極のレアアイテムなわけですから、彼の所有欲を大きく刺激する物であったでしょう。

所有欲以外にも袁術が玉璽を強く求めた理由が考えられます。それは権力欲(支配欲)です。

董卓が表舞台から姿を消した後、袁術は兄・袁紹と激しく争っていました。ともに漢の皇帝に代々仕えた名門袁家の出身ですが、実力で見ると袁紹の方が優れていたという意見が当時も今も一般的なようです。袁紹は反董卓連合軍においてもその盟主を務めたばかりでなく、華北の広大な土地を支配しており、頭一つ抜け出た存在でした。

袁紹

フハハ、わが袁紹こそ名家・袁家の嫡流ゾッ!!

袁術はそんな袁紹を毛嫌いしており、彼が天下に下す号令すべてに反発・対抗していたのです。そんな彼にとって、皇帝の証を手に入れるということで、名実ともに兄・袁紹を超えられると考えたのかもしれません。

孫策は玉璽を手放して得たものは?

数千の兵

 孫策が玉璽を手放して得たもの、それは数千の兵(1000 ~ 3000ほどと書かれていることが多いです)。皇帝のみが所持することを認められた品であり、父親の形見でもある玉璽の交換条件としては、どちらかといえば物足りないようにも思えます。とくに袁術の率いる兵の総数はその10倍はあったでしょうし、袁術としては痛くも痒くもなかったでしょう。

 しかーし、この数千の兵はただの兵ではなかったのです。
 その兵とは、元々は孫策の父である孫堅の配下であった者たちであり、黄蓋や程普といった宿将たちもその中にいました。忠義に厚く、武勇に優れた彼らが自分のもとに戻ってきてくれたのですから、孫策はさぞかし嬉しかったでしょうし心強く思ったことだと思います。

自由の身

 もうひとつ得たものがあります。それは袁術の監視下からの解放です。

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 孫策は出仕してからというもの、天才的な戦の才能を発揮して連戦連勝でしたが、それに見合う褒美を袁術からはもらえませんでした。「次の戦に勝ったら、〇〇の太守にしてやる」と口では約束をしてくれる袁術でしたが、それをことごとく反故にしては、自分の側近たちに太守の座を与えていたそうです。

 それが独り立ちするということになれば、戦で勝ち得た領土はすっかりそのまま孫策自身のものになるわけですから、戦上手の孫策からしてみれば「してやったり」の気持ちだったでしょうね。

孫策

袁術の下では飼い犬に甘んじていたが、わが孫伯符が天下に号令してやる!!

その後の袁術と孫策、そしてまとめ

 袁術はその後、玉璽を持つ自分こそが皇帝であると自称し【仲】という国を興しました。当然のように袁紹をはじめとする多くの諸侯から猛反発を受けたことに加え、自国の民に更なる重い税を課して民衆からも反発を受け、やがて滅亡へと至ってしまいます。

袁術

ヌホホ、天下の玉璽がワシの手に・・・・
これは皇帝になれとの天の意志では

 一方の孫策は袁術のもとを離れてからは破竹の勢いで江東を平定し、大国【呉】の礎を築きました。その後袁術が皇帝を自称する際には、それについて諫める書簡を送っていたそうですが袁術は聞く耳を持たなかったそうで、それ以降は完全に袁術とは縁を切ったようです。

孫策

バカ殿だとは思っていたが、さすがにここまでとは思わなかった

まとめ

いかがでしたでしょうか?かたや玉璽を手にしたことで結果的に滅亡へと至ってしまった袁術と、玉璽を手放したことで大国【呉】の礎を築き上げた孫策。両者の明暗がハッキリと分かれてしまう結果となりました。袁術にとっては玉璽を手に入れたことよりも孫策を手放してしまったことが大きかったような気がしますね。袁術から借り受けた、たった数千の兵を元手に広大な領土を勝ち取ってしまったのですからね。

 ちなみに玉璽は、袁術の死後、徐璆(じょきゅう)という武将の手により本来の持ち主である皇帝(この時代では献帝)のもとへと返されたそうです。

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