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袁術ははちみつと玉璽で身を滅ぼした?孫策・孫権との関係やどんな皇帝だったのか?

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袁術ってどんな人?権力と富を愛した欲深い自称皇帝

袁術(えんじゅつ)、字は公路(こうろ)。

絶頂から一気に没落したり、辞世の言葉がハチミツだったり、でネタキャラ化されることが多いですが、できるだけマジメに紹介したいと思います。

豪奢多淫で欲望のままに振る舞い、徳と呼べるものがかけらほどもなく、何ひとつ他人のためになることをしませんでした。ひたすらに自分の欲望を満たすことに努め、そのためには他人をいくら踏みにじってもかまわないという、思い上がりを抱いていたようです。

袁術自身にはさしたる能力がなかったのですが、四世三公の名門出身だったことで、実力以上に周囲から持ち上げられてしまい、それが自分自身を過大評価してしまったのかもしれません。

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袁紹の従兄弟でライバルだった


袁術と袁紹は従兄の関係です。袁紹は名門出身であるにも関わらず、謙虚な性格だったために人望を得ており、若くして有名になりました。

袁術はその名声を妬み、ことあるごとに「あいつは出自が低い」と袁紹を貶める発言をしていました。おそらく袁紹の母親の身分が低かったためだと思われます。

二人は同世代で、次の袁氏一門の宗長の立場を争う関係でした。このために袁術は袁紹に激しく対抗心を燃やし、袁紹を貶めようとしていたと思われます。自分を高めるのではなく、相手を貶める、袁術らしいといえばそれまでですが、小者感が漂っていますね。

後漢末期の頃は二人で仲良く宦官を皆殺しにするなど協調していましたが、反董卓連合瓦解後は対立。それぞれ幾多の群雄と盟約を結び対抗しました。袁術は袁紹以上に名族としての「名」を利用し、周辺勢力を巧みに動かし勢力を広げていきます。

袁術唯一?の強み

袁術は、対抗勢力を味方につけるのが大変上手く、劉表と袁紹の同盟軍に対抗するために、袁紹に身内を殺されて恨んでいる公孫瓚を焚きつけて、味方に引き込んだり、劉備の配下にいた呂布を買収して、劉備に背かせたりなど、自分は表に出ずに並み居る群雄を上手く動かしています。

西暦193年、袁術は本拠地の南陽郡から、兗州を領有する曹操を攻撃しますが、曹操は袁紹、劉表と連合軍を結び、撃退します。袁術は敗走しますが、背後の南陽郡は劉表が占拠したため、戻る土地を失い揚州に逃亡します。

しかしその時、揚州の太守だった陳温が病死、これをチャンスと見た袁術は、陳温の死後の混乱につけこみ、すかさず揚州の拠点である寿春に入り、ここを実行支配します。正式な揚州刺史の後任である劉繇は、袁術を恐れて入り込めず曲阿に駐屯せざるを得ない程でした。

勝機と見るや、なりふり構わず土地を手に入れる早業は、他の群雄に全く引けを取りません。

孫堅との関係

袁術は順調に出世を遂げ、中央権力に近接する立場についていましたが、霊帝が崩御した後の激震により、洛陽は董卓が支配します。董卓の側にいては、いつ何時災いが降りかかってくるか知れたものではない、ということで袁術は荊州の南陽に逃亡します。

その頃、長沙の太守だった孫堅が、南陽太守の張咨を殺害しており、このために南陽の統治者が不在となっていました。袁術はこの好機を活かし、南陽郡を我が物とします。

この頃の孫堅はたたき上げの武将として名をあげていましたが、まだ基盤は安定しておらず、後ろ盾を必要としていました。このため、孫堅は袁術の傘下におさまります。ただ、これは袁術の人望ではなく、左将軍の地位と、名門の権威が孫堅に影響を与えたのでしょう。

やがて袁紹や曹操たちが反董卓連合軍を結成すると、袁術もこれに参加して董卓と戦います。上表し、孫堅を豫州刺史に任命して董卓と戦わせ、191年には洛陽にまで攻め込む功績を立てさせています。

ただ、兵糧不足に陥った孫堅軍に兵糧を届けるのを渋ったことがあります。もともと小心者である袁術は第三者の諫言を信じ、孫堅を疎ましく思うようになっていたのです。しかし、孫堅が自ら袁術のもとへ迫ると、袁術はその気迫に押されて兵糧をすぐに届けています。

その後、敵対した劉表から荊州を奪うため、孫堅に命じて襄陽城を襲撃させます。この時、劉表軍の武将、黄祖の部下が放った弓矢により、孫堅はあっけなく戦死してしまいます。

こうして孫堅は圧倒的に優勢だったにもかかわらず、不運にも返り討ちにあい、袁術の荊州奪取の野心は潰えることとなります。

袁術は自身が兵を率いて戦うことはなく、常に配下の将軍に任せて侵攻を行わせていました。このために優秀な将軍が戦死すると、勢力が拡大できなくなってしまうのでした。

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孫策からあの伝国の玉璽を手に入れる


袁術は孫堅の長男である孫策を寵愛しており、自身に造反する太守たちを退けたら孫策を登用する約束までしていました。孫策は野心溢れ、自分で敵太守を攻略した場合、後任を任せる約束をさせます。孫策は袁術に反感する太守を降伏させると、当然そのまま太守に就こうとしますが、袁術はそれを許さず自身の配下を抜擢しました。

孫策に廬江を制圧するように命じた時も、「成功の暁には孫策を廬江太守に任命する」と約束したのですが、孫策が廬江を攻略するとこれを反故にし、太守の地位を与えませんでした。

これらの経緯によって、孫策は袁術を信用しなくなり、独立を模索するようになっていきます。

このように、袁術は臣下に対しても不実であり、このためにせっかく手元に優れた武将がいたにも関わらず、やがては離反されることになってしまうのでした。もしも袁術が孫策を使いこなせる器の持ち主であったなら、呉を建国したのは彼だったかもしれません。

そこで孫一門の旗揚げを考えていた孫策は、丹陽の太守で劉繇の脅威に晒されている叔父を助けるとして、袁術に兵の借用を申し入れます。

しかし袁術は孫策が挙兵して独立するのではないかと懸念します。そこで孫策は、あの伝国の玉璽を袁術のもとに置いていくと申し出たのです。袁術はその玉璽で頭がいっぱいになり、孫策に兵三千・軍馬五百騎を与えて出陣させました。

皇帝僭称

献帝が消息不明となり、その機に皇帝に即位したいという野心をあらわにします。しかし配下の閻象は、袁術が皇帝になるには実力が不足しており、時期が早すぎると諫めました。このため袁術はいったんは話を取り下げますが、押し黙ったままで、不機嫌な様子だったということです。

この時の袁術は14ある州のうち、まだ1州も完全に我が物にはしておらず、人望がなく、人が集まってくるのはただ名門の出身であるがゆえでした。

にも関わらず皇帝を名のったところで、認める者も従う者も、出てくるはずがありません。更に言えば、並みいる強敵を次々と撃ち倒して覇道を進んでいけるほどの精強さも備えておらず、皇帝を名のろうとしたのは、まったくもっておこがましい考えだったと言えるでしょう。

それでも現実をありのままに見ることができない袁術は即位を諦めきれず、ついに皇帝を僭称してしまいます。自らを中国神話の舜の血筋を引くと自称して仲王朝を起こし、寿春を都と定めます。

しかし皇帝位は天命と血筋によって受け継がれるものであり、単に実績や自称だけで勝ち取れるようなものではない上、本物の皇帝、献帝は曹操に保護されていたため、袁術が僭称者となるのは必然でした。

後宮に豪華な衣装を着飾らせた数百人の美女を集め、上質な肉といった豪華な食材がありあまるほどに倉庫につまれます。そういった贅沢を維持するために重税を課したため、士卒は飢え、住民は互いに食い合いをするほどの惨状になってしまいました。

この結果、袁術からは名門の威光も完全に消え去り、ただでさえ損なわれていた人望は、ついに底をついてしまいます。家臣たちからも離反するものが相次ぎ、そして諸侯たちの中に、袁術の帝位を認める者は一人もおらず、袁術は僭称者として、天下の中で孤立しました。

つまり袁術は一時の悦楽のために、すべてを失ったことになります。

ハチミツも得られない最期


その後の袁術は、呂布に婚姻をもちかけるも断られ、使者を殺されたことに激怒し、攻め込みますが大敗。皇族の劉寵に支援を求めるも、偽物に援助をするわけもなく、逆恨みして劉寵を暗殺。その劉寵が統治する陳国を奪うも、それが曹操の攻撃を招き寄せ、袁術軍は壊滅させられてしまいます。

この敗北で勢力は著しく衰退し、仕方なく呂布と同盟を結びますが、援軍を送らず呂布を見殺しにし、こうして勢力も信望も同盟者も何もかもを失った袁術は、恐慌に陥り、帝位を投げ出して袁紹に助けを求めます。

かつてのライバルが零落し、助けを求めてきたわけですが、同族のよしみで、見捨てるのは忍びなかったのでしょうか、袁紹は袁術を受け入れることにします。

こうして袁紹に手をさしのべられた袁術は、その下へ向かおうとしますが、その動きを知った曹操が、劉備を派遣し、足止めされてしまいます。

そうして時間が経過するうちに兵卒たちを養う食糧がなくなってしまい、ますます人が去っていき、残った食べ物は麦のくずばかりという、みじめな状況になりました。

夏の暑さのため、袁術は喉を潤そうと、ハチミツが入った飲み物を求めます。そして炊事係に「ハチミツはあるか?」とたずねますが、「ただ血と水があるだけで、ハチミツなどどこで得られましょう」と返されます。

絶望した袁術は木の寝台に腰を下ろし、ため息をつきます。やがて大声で「この袁術ともあろう者がここまで落ちぶれてしまうとは」と怒鳴ると、失意のあまり急病にかかりました。

そして寝台の上にうつぶせになったかと思うと、一斗(約2リットル)もの血を吐いて死去しています。

結局最後にはすべてを失い、何者にもなれなかった袁術。まるで身をもって平家物語の「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」を証明しているようですね。もし孫策から「伝国の玉璽」を得ていなければ、皇帝僭称することはなかったのでしょうか?いや、別に玉璽を手に入れてなくてもしてそうですけどね(笑)

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