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袁術の軍師や参謀たちはどんな人たち?人の話を聞かなかったのはホント?

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 さて、みなさんは袁術の軍師・参謀と聞いてパッと名前が出てくるでしょうか?パッと答えられてしまう人は相当に三国志にお詳しいですね。

袁術軍の軍師か~、全然思い浮かばないな~

 曹操には郭嘉や荀彧、劉備には諸葛亮や法正、孫権には周瑜や魯粛などなど……枚挙に暇がありませんね。しかし袁術はどうでしょうか? 袁術の兄・袁紹にも沮授や田豊など優秀な軍師・参謀がいるのに、袁術にはいないのです。

 今回はそんな袁術の軍師や参謀についてご紹介していくとともに、董卓亡き後の三国時代を大いに賑わせた張本人である袁術になぜ有名な軍師・参謀がいないのかについて考察していきたいと思います。

袁術の軍師や参謀にはどんな人たちがいたの?


それでは袁術軍に所属していた軍師・参謀を見ていきましょう。

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エントリーナンバー① 袁渙(えんかん)

 元々は劉備が豫州を治めていた頃に推薦され役人となります。その後豫州の統治者が袁術に変わりますが変わらず豫州の役人を続けていたようです。
 性格は清廉潔白、誰に対しても奢らずへりくだらず平等に接する人物だったようで、常に正論で相手に談するので、袁術から敬意をもって遇されました。

 彼が袁術の配下だった期間はとても短く、袁術が呂布に敗れると呂布の配下に、さらにその呂布が曹操に滅ぼされると曹操の配下になりますが、彼の清廉潔白さは主君が誰であっても変わりません。

呂布に無理やり『劉備を罵倒する手紙』を書かされそうになったときには、武器をその身に突きつけられようとも冷静に理をもってそれを諫めました。また曹操の捕虜となったときは他の者がへりくだって曹操に挨拶する中で、彼は毅然とした態度で曹操に接し、降伏者に与えられる褒美も書物とわずかな食糧だけだったということで曹操が大いに感心したというエピソードもあります。

 曹操の下では主に内政面で献策を行い、教科訓戒を第一に心がける政治姿勢や彼の人柄を民心を大いに集めました。袁渙が亡くなると、曹操は涙を流して悲しんだと言いますから、彼がいかに曹操から愛されていたかがわかります。最初にも書きましたが、人を人と思わないような袁術からも敬意をもって遇されたわけですから、いかに彼の人柄が素晴らしいかわかるような気がしますね。

 ちなみに袁渙は三国演義には登場しないので、知名度は高くありません。
 
 

エントリーナンバー② 閻象(えんしょう)

 ある日袁術が配下の武将たちを集め、こう問いました。
「ワシ、皇帝になっちゃおうかなあって思ってるんだけど、皆どう思う?」
 配下の武将たちは(唖然として?)誰一人として声を上げませんでした。

 そんな中、唯一、進み出て進言をしたのが閻象なのです。

閻象曰く「昔、周の文王は天下の3分の2を支配しながらも殷の臣下であり続けました。その力が衰えたとはいえ漢が健在なのですから時期尚早なのではありませんか」。袁術はこの発言に対し、不機嫌な表情を見せながらもしぶしぶ閻象の意見を聞き入れたといいます。

そのしばらく後に結局は皇帝を自称してしまうのですが、その後の袁術が光の速さで滅亡へと向かっていったことを鑑みれば、閻象が優れた先見の明を持っていた人物であるといえるのではないでしょうか。まあ、これに関してはその他大勢が無能過ぎたのではないか、とも受け取れますけれどもね。

 余談ですが、閻象についての記述は史書においてこのエピソード以後に存在しません。もしかしたらですが、袁術に処刑されてしまった……ということも考えられます。そうだとすれば、あまりにかわいそうな最期ですね。

 

エントリーナンバー③ 魯粛

 一応、魯粛も超短期間ながら袁術軍に在籍していたことがあるのです。孫権の下、劉備との同盟において多大な貢献をし、その後は周瑜の後継者として大活躍した天才軍師。三国鼎立の立役者である彼の孫権軍での活躍は枚挙に暇がありませんね。

 はい。袁術軍においては目立った功績は上げておりません。

 住んでいた地元がたまたま袁術の統治下であった。ある日「ウチで働かない?」と袁術に誘われたので、誘われるままに仕官した。しかし魯粛は思ったのであろう。「コイツ、何かヤバい」と。そこで袁術に見切りをつけた魯粛は一族郎党を引き連れて親交のあった周瑜を頼ったそうです。

 袁術軍での功績はありませんが、孫権軍での圧倒的な功績を考慮した結果、ここにエントリーさせていただきました。袁術さん、逃した魚があまりにもデカすぎました。

安定すぎる! 期待を裏切らない「安定の袁術クオリティ」な軍師・参謀たち


 いかにも、袁術の軍師・参謀と思われる人たちも何人かピックアップしていきましょう。

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エントリーナンバー① 張勲

 袁術軍配下の代表格といえばこの人でしょう。大将軍・張勲。この人はとにかく負け続けた人生でありました。戦った相手が呂布、曹操という三国志史上でも屈指のボスキャラだったという不運もありますが。

 VS. 呂布
 決まり手は呂布軍軍師・陳珪の離間の計。味方の楊奉・韓暹の裏切りに合い、仲間であった橋蕤を生け捕られるも自らは逃げ延びる。ちなみにこの戦は袁術が皇帝を名乗ってすぐの出来事でありました。

 VS. 曹操
 決まり手は袁術による敵前逃亡。袁術は配下を戦場に残して一人逃走しました。必死に逃げました。それはもう颯爽と風を切るような、気持ちのいい逃げっぷりだったようです。残った張勲らは曹操軍と激突しましたが、歴戦の将が揃う曹操軍になど叶うはずもなく。しかし張勲はここでも持ち前の悪運の強さを発揮し、見事退却に成功したようです。

エントリーナンバー② 楊弘(三国演義での名前は楊大将)

 三国演義において袁術軍の軍師・参謀として献策するシーンがあります。それは当時徐州の呂布に兵糧を送る見返りに、袁術軍と共闘して小沛の劉備を攻めてもらうというものでありました。袁術軍と呂布軍が小沛を囲むと、呂布は突然劉備軍と袁術軍の間に入り、戦を止めるように提案します。劉備は賛成するのですが、袁術軍大将の紀霊は約束が違うと猛反発。そこで呂布は紀霊に「百歩先の戟に自分が矢を当てることができたら戦を止めて退却する」ように提案します。紀霊はそんなことは不可能だと思ったのでその提案に乗るのですが、呂布はその神業をなんと酒をたらふく飲んだあとに、見事成功させてしまいました。
 呂布の性格を見越して「してやったり!」の献策をしたつもりが、逆にかの有名な【轅門に戟を射る】エピソードの引き立て役になっただけですね。

 正史においては上記のようなエピソードこそありませんが、特に目立った活躍もないまま袁術の最期まで付き従いました。袁術が「蜂蜜水事件」により病死すると、楊弘は張勲と共に孫策を頼ろうとしたのですが、道中で劉勲の待ち伏せにより捕虜にされ、以後史書に記録は出てきませんでした。

袁術が人の話を聞かなかったって本当なのか?


 これはそのとおりだったと言えるでしょう。やはりそれを裏付ける決定的な出来事は皇帝を自称したことではないでしょうか。この記事でもご紹介しましたが、閻象以外にも皇帝を名乗ることを反対した人物がいました。

孫策です。孫策と袁術は孫策が江東を平定した後もかわらず良好であったようですが、袁術が皇帝を名乗ったことで、その関係は完全に断たれてしまいました。当時の中国において儒教の教えが絶対だったわけです。儒教では、臣下は主に忠義を尽くすことが美徳とされていました。

閻象も孫策も袁術のことを思って諫めたわけですが、結局袁術は彼らの意見を聞き入れずに皇帝になってしまったわけですからね。

もしも、袁術が人の話を聞く良君だったら……

 袁術は周瑜や陳珪にも配下になるよう誘いを持ち掛けていたようですが、仕官を断られています。もしかしたら彼らは袁術の悪評を耳にしていたのかもしれません。
 もしも、袁術が人の話を聞く良い君主だったのであればその下には魯粛、周瑜、孫策……。それに魏で活躍した陳珪&陳登親子まで配下にいた可能性がありますから、そうなれば三国志の物語は今とは大きく違っていたでしょうね。

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