赤壁の戦いのあらすじとは?孔明は何もしてなかった?

 三国志の中で最も有名な戦いといえば、おそらくこの【赤壁せきへきの戦い】になるのではないでしょうか。なんといっても、この戦いだけでレッドクリフという1本の映画になってしまうくらいですからね(しかも前後編で5時間近くの超大作が……)。この戦いにおける諸葛孔明しょかつこうめいの神がかったような活躍は多くの人の知るところだと思います。

 しかし……その孔明の活躍は実は完全フィクションであり、戦いの最中は何もしていないということはご存じでしたでしょうか? この記事では「正史」に記録されている赤壁の戦いを紐解いてご紹介していきたいと思います。

赤壁の戦いはどうして起きたの?~開戦までのあらすじ

 208年7月、それまでに中原ちゅうげん河北かほく一帯を支配下に治めた曹操は、満を持して荊州けいしゅう劉表りゅうひょう攻めのため南下を始めました。

ところがその翌月に劉表が死去すると、後継者である劉琮りゅうそうはあっさりと曹操そうそうに降伏します。しかし荊州の知識人たちは儒教の教えを軽んじるかのような曹操の政治姿勢に反対する者が多く、劉琮に従い曹操に降伏するをよしとせず、当時客将として劉表のもとに身を寄せていた劉備りゅうびを頼りました。

しかし圧倒的な兵数を誇る曹操軍を前に退却を余儀よぎなくされ、劉表の長男で反曹操の劉琦りゅうきとの合流を目指し夏口かこうを目指します。

 その地で劉備は荊州の動静を視察に来ていた孫権そんけん軍の参謀・魯粛ろしゅくとの出会いを果たし、劉備と孫権と間で同盟が締結される運びとなります(劉備と孫権、どちらから同盟の話を切り出したのかはしょく側の歴史書によると孔明から、側の歴史書によると魯粛からと見解が異なっています)。首尾を報告するために孫権のもとへ戻る魯粛に、劉備は孔明を使者として同行させました。

 実は孫権軍はこのとき自治領に迫りくる曹操に対しての『抗戦派』と『降伏派』に割れていたのですが、最終的には魯粛や周瑜しゅうゆが推す抗戦派に孫権自身も同調し、曹操軍と赤壁の地で対決することになったのです。

ここまでの孔明の働き、何をしていたの?


 正史によれば、『劉備軍の使者として孫権のもとを訪れた』だけであり、おそらく客人として大いにもてなされたでしょうが、目立った活躍はありません。

使者として選ばれた理由も孔明の実兄である諸葛瑾しょかつきんが孫権軍に在籍していたため、多少は同盟交渉なども有利に運ぶのではないかと思われたためではないでしょうか。

劉備

孔明の兄ちゃんって孫権に仕えてたっけか? んじゃ顔も利くだろうし、ちょっくらワシの代理役を頼むわ

くらいのノリだったのではないかと思います。

 その一方で演義においては、孫権軍の『降伏派』の重鎮たちや孫権自身を舌戦に次ぐ舌戦で鮮やかに説き伏せて曹操と戦う道へと突き動かすのです。有名な【十万本の矢】を集めてくるエピソードをはじめ、その他周瑜とのプライドを賭けた知恵比べのような描写はとても痛快で楽しいですがフィクションだったのですね。

赤壁の戦い


 長江ちょうこうを挟んで赤壁の地で対峙する曹操軍と孫権軍。十数万ともいわれる曹操軍に対し、孫権軍は数万。

数の上では圧倒的に不利な孫権軍でしたが、孫権軍の指揮官周瑜は

周瑜

「曹操の兵たちは騎馬での戦いには慣れているが、その騎馬の使えない水上での戦いには慣れていない。水上戦では我々が圧倒的に有利だ

自軍の勝利に自信を見せていました。

 孫権軍の武将・黄蓋こうがい『曹操軍は船酔いを防ぐために大船団をひとつに連結させている点』に着目し、火攻めを進言します。周瑜はこれを採用し、火攻めにて曹操軍を打倒することと決まりました。

 決戦当日、黄蓋は何隻かの小型船で曹操陣営に接近します。実は黄蓋は事前に偽りの降伏を願い出る文を曹操に送っていたため、曹操は黄蓋が約束通り降伏に来てくれたものだと油断していました。

しかしその小型船は曹操陣営に近づくと突然火の手をあげ、猛スピードで衝突……連結されている曹操軍の大船団は折からの強風が曹操陣営側に吹き付けたこと手伝って、みるみるうちに火に包まれて燃えてしまいます。

 曹操は退却を余儀なくされ、離れたところに陣を敷いて軍勢を立て直そうとしますが、周瑜軍と劉備軍による追撃を受け完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。曹操は無事戦地から逃れることができたものの天下統一への歩みは大幅に失速してしまい、やがて天下はしょくの三国三つどもえの様相を呈していくことになるのです。

赤壁の戦いにおいての孔明の働きって?

 正史においては、まったく記録がありません。おそらく劉備の命によって魯粛に同行し、孫権と同盟交渉をしただけで彼の仕事は終わっていたのでしょう。

 一方、演義では赤壁の戦いの最中においても孔明は神がかった活躍を見せます。神風を起こして周瑜軍の火攻めを大いに助けたこともそうですし、退却を試みる曹操軍を叩くのも孔明の指示によってあらかじめ伏兵として待機していた劉備軍の役目でした。

まとめ

赤壁の戦い、その発端は曹操が劉備を攻めたことになるのでしょうが、主役はあくまで周瑜をはじめとする孫権軍と曹操軍ということがおわかりいただけたと思います。

 そして孔明についてですが、上記でも触れたとおり、正史においては赤壁の戦いにおいて、その活躍はまったく描かれてはおりません。というのも、この頃の孔明は主に内政に力を発揮する政治家であり、軍を指揮する立場にはなかったためだと思われます。孔明が軍事の指揮権を握り、戦場においてもその才能を発揮し始めるのは劉備が没したあとになります。正史での孔明の戦場での活躍に興味をお持ちの方は是非、南蛮なんばん異民族いみんぞくの制圧戦や5度に渡る対魏の北伐戦ほくばつせんを調べてみてください。

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