典韋の強さが異次元だった!個人の強さは三国志最強?

三国志最強、といわれるとたいていの方は呂布りょふ劉備りゅうび義兄弟勢を想像します。
それも間違ってはいません。というか、当時の感覚で言うならこのお三方の武力ははっきり言って化け物のそれです。
あとは半分バーバリアンもといモンゴリアンの血を引いてる張遼ちょうりょうやら、いま挙げた方々と互角に渡り合える防衛戦のプロこと曹仁そうじんなどが候補でしょうか。

ですが単騎の戦闘力という面において、彼らに負けないだけの力を持った武将がいます。

それが典韋てんい。通称『悪来あくらい典韋てんい』です。字は知られていません。おそらくこれは生まれ育ちのせいでしょう。

演技では前半における曹操の良き片腕。夏侯惇かこうとん許褚きょちょらと肩を並べる猛将として活躍します。
活躍の場が少ないというのもあって、なかなかその武勇が人目に触れることはありません。
ですがこの男、調べてみるとなかなかの化け物です。

義に厚い漢、デビューは暗殺から

若い頃、旧知の友であった劉氏りゅうし(おそらく皆がよく知るアイツとは無関係)のために、彼の仇であった李永りえいの殺害を決意。

だがやつは元富陽ふよう区の県令だ。屋敷の警備も相当厳重だぞ。どうする?こっそり侵入するか?

劉氏

典韋

わかった。正面から行こう!
あ、はい。そうですか(汗

劉氏

そんなわけで匕首あいくちを忍ばせて客を装って潜入。真正面から堂々と李永を刺殺します。ついでに奥さんも始末します。
何処のアサシンだお前は。始皇帝刺し殺そうとした暗殺者もこんなかんじだったよね、いやあっちはいろいろ不運重なって失敗しちゃったけど。

そして血だらけのまま屋敷を跡にします。正門から。
・・・・正門から!?
このとき周りの人は、典韋の鬼気迫る迫力に何もできず呆然と彼を見送ったといわれています。

暗殺者らしからぬ堂々としたダイナミック帰宅なのでした。
ついでに帰り道際に追ってきた李永の仲間も蹴散らしていきます。
やっぱ暗殺者じゃねえわこの人。

仕官後に曹操と出会う


その後、董卓とうたくの討伐のために張邈ちょうばくが挙兵するとその一軍に参加。張邈は気前の良い兄貴分のような性格で、曹操そうそう袁紹えんしょうとも仲が良かったともいわれています。おそらく後の主人となる曹操と見知ったのもこの時でしょう。
その時から彼の怪力無双ぶりは健在だったらしく、誰も持ち上げることのできない牙門旗がもんきを楽々と片手で持ち上げたと言います。
ちなみに牙門旗とは、本陣の軍門にデカデカとそびえはためくアレのことね。

牙門旗の参考画像

うん、遠くからでも目立つほど大きいよね、相当デカくて重いね。
片手で持っちゃうの?アレを?
・・・うん、すでに人間業じゃないね。

ですが彼の部下と仲たがいを起こし脱走してしまいます。もったいねえ。
そんな時に彼の馬鹿力ぶりに目をつけていた夏侯惇が彼を曹操軍にスカウト。

以後、彼は曹操軍の配下として活躍します。

悪来典韋、堂々デビュー

曹操軍のパワーキャラ担当としてデビューした典韋ですが、某義兄弟の末弟と違い、彼自身は忠誠心に溢れ慎み深い人物だったと言われています。・・・いや某燕人えんひとも忠義はあるんだろうけど他の人間関係が(以下割愛

昼は常に曹操の傍ら、夜は宿衛しゅくえい。要するに常に職場に居っぱなしでろくに家に帰ることはありませんでした。
そんな典韋を曹操は高く評価し可愛がったと言われています。

その後、曹操は呂布と交戦する場面が典韋の有名エピソードの一つでしょう。

呂布軍の強襲のさなか、典韋は自身の突撃隊とともに短戟たんげきを手に奮戦。呂布軍を防ぎ留めます。
・・防衛するっつって何で突撃してんだお前は、そしてなんで成功してんだお前は。
関ヶ原の豊久とよひさかお前は。

そのさなか、彼は数十本の短戟(おそらく戟といいつつ投擲用の短い槍の類いと思われる)を携え

「私がこれを投げるから、敵が十歩以内の間合いに入ったら十歩と声をかけてくれ」と部下に命じます。

部下「十歩です」

典韋「あいよ(サクッ」

部下「じゅ、十歩です」

典韋「あいよ(サクッ」

部下「十歩・・あ、そっちも十歩」

典韋「あいよ~(サクサクッ」

部下「じゅ・・あ、すいません五歩です!」

典韋「だいじょうぶ~(サクッ」

どこのアメコミヒーローだお前は。
投げたら絶対に的を外さない系ヒーローか。

那須与一なすのよいちの遠当てじみた技をやってのけた呂布とは別のベクトルで化け物じみていらっしゃいます。
あっちはテクニックですがこっちは100%腕力です。
やっぱり三国はテクニックよりパワーの時代ですね。

そもそも典韋の異名「悪来」とは、かつて怪力が自慢だった男の名前から名付けられたものらしく、
先の牙門旗の件でも述べたように彼自身も『一双戟、八十斤を担ぐ』と称される怪力の持ち主でした。

当時の単位でいうなら八十斤はおよそ十八キロに相当します。数字ではピンとこない方のためにわかりやすく言うなら、あの関羽の偃月刀えんげつとうも同等の重量があったと言われています。それほどの重さの双戟を担いで戦場に駆け回ったというのですから、すでに人間業ではありません。

その最後、曹操軍のバーサーカー、荊州に散る


そんな典韋の最後の戦場は、曹操軍に降った張繍ちょうしゅうの謀反を受けた荊州での戦いでした。
夜襲を受けた曹操を助けるために典韋は自分の部下を引き連れ駆けつけましたが、多勢に無勢なうえ自軍は完全に敵の手の中。
奮闘むなしく、曹操の息子・曹昂そうこう曹安民そうあんみんと共に壮絶な最期を遂げてしまいました。

曹操「おぉなんということ、可哀そうな典韋・・・よよよ」

張繍「おい何しんみり締めようとしてんだそれどころじゃねえぞこの野郎」

曹操「張繍!きさまよくも私のカワイイ典韋を寄ってたかってなぶり殺しにしたな!」

張繍「そいつの戟の一振りでこっちの武器が十本以上いかれてんだよ!そりゃ囲むわ!」

曹操「おまけにアイツが可愛がった部下まで皆殺しにしたそうだな!許せん!」

張繍「そいつの部下一人討ち取るのにこっちの兵士は十人がかりだったんだよ!どんな教育してたんだアイツ!」

曹操「・・おぉ典韋、部下も亡くし武器も失い、さぞ辛かったであろう。よよy・・」

張繍「うちの兵士、アイツに小脇抱えられてそのままベキィ!いかれたんですがねぇ。しかも二人同時に」

曹操「・・・か、悲しいのう。そんな典韋も最後には敢え無く力尽き・・」

張繍「突っ込んで数人殴り殺した揚げ句、怒声ぶちまけながら亡くなったんですがねえ」

曹操「・・なにそれこわい」

な ん だ こ の バ ー サ ー カ ー は 。

演技ではもう少しマイルドだったじゃねえか。いや全身矢で射抜かれて不動立ちってのもマイルドかどうかは微妙だけど。
死ぬときは割とあっさり死ぬ三国志界において、この最後の大暴れはそうそう見ませんよ。

終わりに

この男、あまりに波乱すぎる。
三国志最強決定戦に名前が上がらないのがあまりに惜しい漢です。
とりあえず怪力部門と暴れん坊部門には確実に名が乗るでしょう。DQNじゃないのもポイント高い。
だって基本的にDQNしかいねぇんだもん三国。

以上、正史の方が異次元過ぎた男・悪来典韋のご紹介でした。
閲覧ありがとうございました。

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