キングダムの楊端和は物語でも政の王位を奪還の最大功労者だったり、
李牧の奇策から秦の町を守ったりと重要人物として登場しています。
また、男顔負けの武力を持ちながら絶世の美女として多くの男性をトリコにしています。
(中には年老いた爺さんも年甲斐もなく惚れています)
楊端和の強さや畏怖の意味を込めて
「山界の死王」の異名で呼ばれています。
目次
キングダムの楊端和とは
『キングダム』(C)原 泰久/集英社
キングダムでの楊端和は山の民の王として君臨しています。
楊端和はかなり序盤から登場しており、初登場はまだ政が王でなく腹違いの弟・成蟜から玉座奪還作戦のときでした。
それ以降も秦国が合従軍に追い詰められているときに、駆け付けたりと要所要所で政の覇業を手助けしています。
また、山の民という名前からして野蛮なイメージを受けますが、
実際の楊端和は強く美しい女性として描かれています。
同じキングダムの女性キャラはどちらかというと幼さがあるのに対して
楊端和は見目麗しくしかし、眼光は鋭くけた外れに強いといった描かれ方をしています。
そのため、人気も高く作中でも壁が思いを秘めている描写も時折描かれていました。
楊端和の性格
楊端和の性格は一言でいうと苛烈、男以上に男らしい性格をしています。
屈強な山の民も楊端和を完全な信頼関係で結ばれていてつながりは強固です。
また、政との約束を守るため文字通り命がけで宮中に攻撃をしたり
合従軍の李牧の攻撃から守るために援軍に駆け付けたりしています。
史実の楊端和
『キングダム』(C)原 泰久/集英社
史実の楊端和を知ったらがっかりする人が多いかと思います。
それは歴史書の記述の少なさと男性だったこと。
正確には男性とはっきりと書かれているわけでなく、
あくまで可能性の話ですが女性の可能性は限りなく低いです。
それでは史実での楊端和を見ていきましょう。
➀紀元前238年
魏の衍氏を攻める
➁紀元前236年
王翦・桓騎と趙の鄴を攻める
➂紀元前229年
趙の首都・邯鄲を囲む
翌年に王翦・羌瘣が趙を平定
鄴は趙にとって交通の要衝で東部と西部をつなぐ城でした。
ここが落とされたことで趙の命運はもはや尽きたも同然といったところでした。
(結局はこの劣勢から、リアルチートの李牧によってなかなか秦軍は攻略できずにいましたが・・・)
楊端和の活躍ですが、史実ではここまでです。
楊端和は戦場で死ぬ運命?
李信や桓騎のように敗れて歴史から退場した方々と違い、
負けずに姿を消しています。
つまりは敵にやられて死ぬことはまずないでしょう。
これが何を意味するのか現代となってはわかりません。
しかし、キングダムの中としては、最強の敵・李牧を擁する趙を倒したことで秦の天下統一は揺るがないと感じたことで山界の世界に戻っていたのではと考えることもできます。
山の民とは
『キングダム』(C)原 泰久/集英社
山の民は秦の西方の山に住んでいる異民族で、楊端和を王として数多の民族を統一しています。
全員が、奇妙な仮面をつけていて、人間離れした身体能力を持っています。
(王翦がつけている仮面とは違いもっと素朴なものです)
言葉も信たちが話す言葉と違い独特なものですが、
平地の言葉を使えるものもいるのでその喪に通訳してもらうので、
コミュニケーションは問題ないようです。
(楊端和も平地の言葉を話せます)
山の民と秦国の関係
山の民はキングダムの創作ではなく、史実でも存在したといわれています。
中国は中国外の四方にいる民族を外敵・異民族としていて敵対関係にいました。
(北の匈奴が一番有名ですかね)
山の民も匈奴と同じく敵対する異民族とみなされていたのでしょう。
キングダムの話に戻ります。
政が王位を奪還する前、一時的にではありますが
秦と山の民は同盟関係にありました。
しかし、時の王がなくなり再び、兵との人間から
迫害されるようになりました。
その後は物語であるように、楊端和は政の心意気に打たれ
協力関係を結ぶことを誓います。
今後の楊端和の活躍としては、やはり鄴攻めが一番の見どころといったところでしょう。
総大将は王翦でしょうから、どう見ても楊端和と合うとは思いませんが
王翦ならうまく楊端和を動かし秦に勝利をもたらす策を見てみたいと思います。
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