董卓が権力を手に入れた経緯とは?実は皇帝になりたかった?

董卓は昔から悪逆非道だったのか?

董卓といえばキャラクター化するととても俊敏に動けるキャラクターではないとイメージする人も多いと思います。しかし、もともとは武芸に秀でて腕力のある人物でした。馬に跨った状態で、馬上から弓を左と右のどちらに手でも放つことができたといいます。両利きだったかまでは分かりませんが、並大抵の技術ではないのは確かでしょう。そして、馬に跨って弓が放てるほどには細身であったようです。

青年期の董卓は、周辺の遊牧民との親交がありました。羌族のいる西涼へ向かい、各地の頭領たちと親睦を深めています。当時の感覚では周辺の異民族や遊牧民は野蛮人として毛嫌いされていました。しかし、董卓の生まれは中国の北西部にある涼州で異民族の存在が近くにあったため、そのような差別意識がなかったのかもしれません。一説では董卓にも異民族の血が混ざっていたと言われています。

農耕に励んでいた董卓の元を羌族の頭領が訪れたことがありました。しかし、当時の董卓は貧しく、彼らをもてなすことができません。そのため、悩んだ董卓は農耕用の牛を殺して、その肉で彼らをもてなしました。その董卓の姿に羌族の頭領たちは感激し、領地に戻った後で董卓に1000頭もの家畜を送ったといわれています。

その後、董卓は役人となり盗賊を取り締まるようになります。異民族の胡が侵入して略奪を行い、多くの住民が拉致されることがありました。董卓は兵を率いて胡に出向いて討伐することとなります。4桁にも上る胡族を捕虜または斬りました。

武勇に優れた董卓はその後も出世し、大規模な反乱を起こした羌族の鎮圧へ向かいます。今度は一万人あまりを斬るまたは捕虜として再び大勝します。その反乱での功績を認められた董卓は絹9千匹を朝廷から贈られます。しかし董卓は軍を指揮したのは自分でも、功績は戦った兵士のおかげだから、と全て部下に分け与えてしまいました。

若いころの董卓は現代のイメージに色濃く残る悪逆非道とは真逆の気前の良さと人望を得ていた人物であったことが分かります。

都で権力を掌握するまで

霊帝が亡くなると少帝が新たな皇帝として即位します。少帝の外戚である何進(少帝の母である何太后の異母兄)は袁紹と共に十常侍ら宦官を一掃しようとします。しかし、妹の何太后から反対されていました。そのため何進は何太后へ圧力をかけるべく董卓を洛陽へ召し出しました。

董卓は何進の要請に応じて軍勢を進めました。しかし、董卓が洛陽に辿り着いたときには何進は宦官の反撃に遭い殺されていました。その時宮中では袁紹が宦官を討伐するべく突入していましたや。その裏では宦官の一人である中常侍の段珪が少帝と弟の陳留王を連れ去っていました。段珪は小平津まで逃げていましたが、董卓の軍勢に追いつかれて自殺し、董卓は少帝と陳留王を洛陽へ連れ帰ります。

董卓の軍は最初3,000ほどしかいませんでしたが、何進や何進の弟である何苗が亡くなったため軍も吸収することになります。また、丁原の軍も取り込み呂布が董卓の配下に加わります。こうして吸収を繰り返した結果、洛陽で大きな軍事力を持った董卓は袁紹らを抑え込み権力を握ります。

董卓は皇帝になりたかったのか?

最初から董卓自身が皇帝として権力を掌握して独裁政治を行うつもりだったのか?と考えるとおそらく違うのではないでしょうか。

その時の帝である少帝を廃して弘農王とし、陳留王を擁立して献帝として迎えます。董卓が行ったこの行為ですが、自分が独裁することのみを考えるならば皇帝を変えてしまう必要はなかったのです。

『献帝紀』には段珪が少帝と陳留王を連れ去った後、董卓が二人を洛陽へ連れ帰る間に話をしていたとあります。この時、少帝は満足な会話ができず、董卓も何を言っているのか理解ができませんでした。改めて陳留王に尋ねると、一連の混乱について事情を滞りなく話して見せたことから陳留王の方が賢いと董卓は判断します。

董卓が権力を握って国を動かすだけならば、皇帝は自分の傀儡にとさせるためにも聡明ではない人物の方が都合よく思えます。新しい皇帝の擁立には董卓にとって何か考えがあったと考えることができます。

董卓は漢王朝を建て直そうとします。まず、名士を取り立て良い政治を行うことを目指します。また人事権を漢王室の臣に委任し、漢王朝を尊重します。しかし、名士たちは董卓の行いに対して反発され逆に董卓を討とうとします。以降、董卓は金品を奪い民衆を虐げ、悪政を展開していきます。

董卓の漢王朝のために起こした行動は受け入れられることはありませんでした。それは当時重視された価値観である出自が問題だったといえます。董卓は人種で差別するような人物ではありませんでしたが、王朝のために心を砕いても出自を理由に虐げられてしまうことで傷ついて憤りを感じたのではないでしょうか。

その結果として別人のように考え方や行動が豹変し、悪逆非道な独裁者として君臨したのは評価することはできません。しかし、時代の価値観が違っていれば全く違った活躍をしていたのではないかと思うと惜しい人物に思えます。

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