羌瘣は指揮にも登場する実在の人物として知られています。
といってもキングダムのように蚩尤という一族で巫舞で大男を一刀するような活躍はありませんが。
キングダムの時代は2000年以上前、日本でいうと卑弥呼の時代からも約400年前です。
とてつもない昔の話ですが、その時代の話が現代に残っているだけ驚愕です。
キングダムとは違う点は多くあります。
(龐煖が武神じゃなかったり王騎がほとんど活躍してなかったり)
こういった事実を受け入れることでさらにキングダムも楽しめると思います。
史実における羌瘣
司馬遷の書いた史記に、羌瘣は王翦を大将として楊端和とともに、趙の首都・邯鄲を攻めたと記録されています。
趙は扈輒が対象となり秦の桓騎と対決しましたが、数が多い扈輒のほうが桓騎に敗れてしまい趙は絶体絶命のピンチを迎えます。
趙王は北方の異民族・匈奴との戦いで功績をあげていた李牧を総大将になり、宣安で桓騎を破るなど秦軍相手に大活躍をしますが謀殺されています。
李牧が死んで間もなく趙は滅亡します。
羌瘣は趙を討伐すると東にある中山に駐屯したとされていますが、ここは燕との国境付近にあるところです。
この後、秦軍は再び王翦に命じて燕討伐に動き始めますがここに羌瘣の名前はありませんでした。
もしかしたら後方支援をしていたのかもしれませんが、あまりこういうのは歴史に残らないので羌瘣も記録されなかったのでしょう。
ここまでが史記にかかれた羌瘣の足跡です。
かなり物足りないのですが、キングダムに出てくるキャラのほとんどが羌瘣以下の記述しかありません。
それというのも秦が滅亡したときに大量の書物が消失してしまったことが原因です。
もし書物が残っていれば羌瘣の活躍はもっと記述されていたと思います。
残念でなりません。
イトウ カイヂ
性別がわからない羌瘣
羌瘣は史記にも記述されている実在した将軍です。
しかし、羌瘣が女性であったということは明記されていません。
男性だった場合わざわざ書くこともありませんので、羌瘣は男性であったというのが定説でしょう。
羌瘣の最後
史記には羌瘣の最後は書かれていません。
趙攻略後の秦のピンチといえば楚攻略です。
この楚攻略に抜擢されたのがキングダムの主人公である李信です。
李信は蒙恬とともに楚攻略に赴きましたが大敗を喫して逃げ帰っています。
もしこの時羌瘣が従軍していればここで戦死していたのかもしれません。
また、中山というところは異民族との戦いも多いところですのでここに駐屯して異民族と戦っていたのかもしれません。
イトウ カイヂ
信とは結婚できたのか
史記で羌瘣が姿を消したころ李信が表舞台に登場します。
李信は燕攻略から登場しその後は楚攻略に失敗しています。
それでも嬴政から処罰されることはなかったようで、戦国最後の国・斉を陥落させ秦の天下統一の最後の詰めを任されています。
史記には李信の子孫が登場しそれが李広・李陵です。
つまり李信は子孫を残しているので結婚していたのは間違いありません。
ただ、それが羌瘣だとするのはかなり無理があると思います。
イトウ カイヂ
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イトウ カイヂ